日本精神の千年の知己 インド詩人タゴール

 アジア人で最初のノーベル賞(文学賞)受賞者はタゴールであります。このインドの天性の芸術家は戦前の日本を好んで訪れた。
 最近流行りの日本人の自画自賛コンテンツはどうにも平板で深みがないようだ。
ここでは、西洋文明も東洋文明も客観視できた、インドの文人から日本精神の優れた特徴が何かを知っておくのは有用であろう。
 以下、彼の三つの論文『日本の精神』『東洋文化と日本の使命』『日本人の特性』から抜粋しておこう。
 来日したタゴールは西洋かぶれの街並みとマスコミの騒々しい取材などに辟易としていた。ところで、その印象を一変させたのは庶民なのだ。

 ある小さい駅で、わたしは数人の僧侶と信者に会いました。その人たちは果物の入った籠をわたしに持ってきました。そして、仏陀の国からの来訪者としてのわたしに敬意を表してくれたのでした。その人たちの威厳あうる落ち着いた態度と、その信心の質朴さとは、この騒がしい駅頭を平和な金色の色で充たすかのように見えたのでありました。

 壮麗な権力の施設や美の殿堂というのは日本にはない。その替わりにタゴールが見出したのは至るところ片隅にある心配りというべきものだ。

 けれどもここ日本では、支配力をもっているのはものは、権力や富の誇示ではありません。ここでは至るところに、愛と感歎とのしるしが見られるのです。野心と貪欲とは影を潜めているのであります。
ここに、一つの国民がその日常生活のごくありふれた家具の中にも、その公共施設の中にも、その念入りなまた完全な行儀作法の中にも、そして器用でありながら優美な動作をもつ物のあつかいの中にも、豊かな心を注ぎ込んできたのを見るのであります。

 西洋の文明に対峙できる文明の独自性、とくにその自然や社会との調和と美の構えは立派な範例となりうるものだとタゴールは評価したわけです。

 この国でわたしを最も感動させたのは、自然の秘密を共感によって知っているその確信です。あなた方は「自然の線」が語る言葉や、自然の色彩の音楽や、自然の不規則さの美しさや自然の自由な動きのリズムを知っているのです。

 つまり、日本人は日常生活のなかに自然を溶かし込み、自然のなかに至るところ美を見分け、それを文化に同化させる能力が卓越している、といのであります。それは特別な階級だけの特権的能力ではなく、あらゆる階層の男女に備わっている点に驚嘆しているのですね。

 それはタゴールが横浜の三渓園に滞在していた時の経験でも裏打ちされてます。

 毎日昼ごろになると近くの工場から働く人たちがその美しい庭へ出てきて、かなりの距離を歩いて、大らかな海と空の溶け合う光景に見入っては、乾いた心が潤され、植えたものが充たされたように眺め、また遠い道を厭わずに歩いて仕事に戻ってゆくのを見て、わたしは毎日のように心を打たれました。
  これが労働階級の人びとなのです。他の国では、このような人びとの愉しみの基調がどんなものかをわたしはよく知っています。彼らがどんなに強い刺激を必要としているか、それは心の鈍感さを示していないでしょうか?
 ...これはこの民族のなかの偉大な何かを暗示しています。わたしはすっかり心を奪われました。<<

 庶民の感受性と克己心の素晴らしさもさることながら、明治時代にインドを訪れた日本の偉人岡倉天心についてもタゴールは懐かしさと感歎を惜しんではいない。
 彼によって示されたインドの窮状への共感は若きタゴールも感動させたと語っている。

 もちろん、このインドの賢者は日本の軍国主義や強烈なナショナリズムへの警告も怠っていない。
日本は科学と芸術、機械と生命、克己と抑制の範を世界に示すようにとタゴールは説いていた。残念なながら太平洋戦争へ突き進む日本人たちには、その立派な進言は届かなかった。