大日本帝国を慎ましく弁護しよう

 はじめに自分は反軍国主義であり、リベラルに属していると断りをいれておく。でありながら、北一輝大川周明などの歴史的な意味での、大アジア主義には同情的だし、当時の日本の拡大主義は結果的に一大過失であったことは認めるものの、未熟な政治体制の帰結だったのは確かだ。
 そうかと言って日本の戦争責任だけをこれを見よがしげにいつまでも言いた立てるのも偏見、世界史的な広がりがない視野狭窄のなせるワザだと言いたい。
 まずは世界史を見よ!
 旧日本の政治的失敗の批判者は自国の搾取と蒙昧の歴史を鑑みてから評価せよ!

 19世紀に台頭した日本の軍事的帝国主義化は西洋諸国の世界植民地化政策に淵源がある。確かに、イギリス人の民主主義思想は日本に欠如していたのは確かだが、そうかと言って欧米列強の人種主義的な植民地統治は、非植民地の住民を民主主義の対象外としていたのを忘れてはならない。
東南アジア
 少なくとも日本の朝鮮支配は「皇民化政策」という民族同化政策であったので、(それが朝鮮民族のプライドを著しく傷つけたにせよ)欧米列強の差別主義は別物だろうと信じる。あのアーリア主義に毒されていた同盟国のナチ・ドイツとも異なる。

 多くの過失があったにせよ大日本帝国帝国主義は、立場上アジア民族を同朋とみなしていたことを忘れてはならない。孫文やバー・モ・ボウ、アウンサン、中村屋のボースやチャンドラ・ボースは、それは理解していたことであろう。
 当時の大日本帝国の支配層は欧米から奪った植民地を「植民地支配」するつもりはなかったに相違あるまい。列強の植民地支配とは愚民化を図る人種主義政策そのものであった。
 台湾や朝鮮半島、旧南洋諸島には社会インフラを整備し、義務教育を施していた。*1同様な意図は東南アジアでも展開しようとしていたであろう。教育こそ民族の覚醒の要なのだあるから。
 極東軍事裁判大川周明は言い放った「欧米人よ去れ、インド人よ来たれ」

 日本の戦争責任を責めるアジア諸国は、まだ、その側面を評価出来るほど史観が成熟していないと思えるのだ。

*1:別に日本人と現地人と教育格差がなかったとは言っていない。それは別な問題だ。