2017-01-01から1年間の記事一覧

地域伝承における「塚」のタイプ

どれほど日本列島には塚があることか。古墳や富士塚など名だたる塚だけでなく様々な塚がこの島国を埋め尽くしている。あるいは埋め尽くしていた、というべきか。 世界各地に塚はある。アメリカの東海岸にもインディアンが造成した「塚」がマウンドという名称…

理想の読書:中勘助のスローリーディング

橋本武という元国語教師は有名進学校の授業で三年間かけて『銀の匙』を生徒に読ませた。これが伝説の授業となるわけである。『銀の匙』といっても荒川弘の漫画ではない。 その前に中勘助の『銀の匙』はいかなる小説なのだろうか? 東京に住まうある有産階級…

百太夫と女性史家、脇田晴子氏

『梁塵秘抄』に 「遊女の好むもの、雑芸鼓小端舟、大傘翳艫取女、男の愛祈る百太夫」 とある。 この百太夫は兵庫県西宮の西宮神社の末社に百太夫社というのが残り、西宮傀儡子の職能神というべき社であることが知られている。 脇田晴子氏は百太夫を大江匡房…

気になる、お気に入りの縄文土器

縄文後期の土器の造形性はインパクトがある。有名どころではないものを切り抜いて貼り付けておこう。 埼玉県真福寺貝塚出土の土器。今にも動き出しそうな不思議な生命感が宿る。 青森県の田茂木の産。人面土器の顔は土偶でも見かけた面相だ。容器の下部に小…

朝鮮の偽史の代表 「桓国正統史」

韓国における偽史の興隆や蔓延状況はかつての日本におけるそれと似ている。20年前くらいは竹内文書、宮下文書が大繁盛であった。 こうしたアカデミズムや客観的資料と無縁な偽史は自国中心の誇大視=古代史である。おおむね経済成長にともない自国の歴史的伝…

新しいと荒ぶると 南島の海神の訪れ

「新しい」、つまり、newという意味のことばがもとはと言えば「あらたし」であった。それは万葉集での用法から確かめられる。 折口信夫の万葉集辞典も「めづらしい。気がかはる。結構だ」と「あらたし」の意味を記している。 現代日本語の語順といつ入れ替わ…

イギリスの上流階級の婦人になりきるには

それはヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読むにかぎる。もちろん、「ダウントン・アビー」でもいいかもしれない。同じ時代設定だから。だが、内面からのナリキリはウルフの小説の方に歩がある。 画期的ともいっていいこの小説はロンドンの朝ととも…

時の流れに身を委ねられた時代の軽音楽

今から半世紀前の軽音楽はホンマに軽い。その軽やかさのゆえに何の気兼ねもなくメロディに身を委ねてポ和〜ンとできるんだ。 その和やかさが心のうちに染みわたる。 このヘンリー・マンシーニの演奏なんかが典型だろう。原曲は1950年代の戦後の復興期のアメ…

ジャック・ラカンの中宮寺 如意輪観音のエピソード

フランスの「現代思想」の代表選手の一人だったジャック・ラカンは二度ほど来日している。 そしてその奇妙な精神分析の眼差しを奈良の古仏に注いだ。1970年の日本でのことだ。 以下、佐々木孝次からの引用であります。 みなさんに回した彫像の写真から、それ…

ラドヤード・キップリングの『キム』のインド

とかく大英帝国礼賛の国粋主義者と見なされるラドヤード・キップリングはそれ以上にホンモノの文学的才能と人間を見抜く観察力を有していた。彼の短編もいいけれど長編小説もいい。 『キム』はその代表的な作品なのだろう(これ以外には児童小説しか読んだ記…

トマス・アクィナスのヴィジョン

カソリック神学のご本尊ともいうべき聖トマス。天使博士とも呼ばれたトマス・アクィナスは圧倒的なビジョン=ヒエロファニーを見て、主著『神学大全』を断筆した。 1273年12月6日、聖ニコラウス聖堂でミサを捧げている最中に衝撃の体験をした。 「兄弟よ、私…

神道が平和的なんて誰が言った?

最近の論評で「一神教が好戦的で多神教が平和的」なる言説が徘徊しているようだ。 一神教がイスラムを念頭におくかどうかは文脈によるけれど、「多神教が平和的」というのは我が固有の神道を指してのことであろう。 これは全体として歴史的事実と背反する。…

環状列石から環状列柱へ

日本のストーンサークルというと秋田県の大湯ストーンサークルに指を折る。二箇所に分かれてあり、万座列石と野中堂列石である。万座列石は外径46メートル、内径15メートル。野中堂列石は外径42メートル、内径12メートルだ。 国内最大であり、国の特…

「さだこ」の落魄(らくはく)のヒストリア

「さだこ」という名はどうやら運のめぐり合わせが良くない。それが歴史的にたどれる。別に「さだこ」さんたちに私怨はない。単に意外なトラディションを見つけたというにすぎない。 歴史的には清少納言の仕えた藤原定子が始まりだ。「ていし」とも「さだこ」…

ジョン・ダン『死よ、騎るなかれ』(Death Be Not Proud)を読んで

いまさらながらに揚言するなら、形而上詩人のジョン・ダンの作品は見事だ。 この17世紀の英国詩人は聖職者にして伊達な通人、武骨者でありながら思想家だった。 『死よ、騎るなかれ』は不可避の宿命たる死へ挑戦状というべきものであろう。レトリックを駆…

府中街道ぞいの石神宮

石を神とみなすか、神が石に宿るのか、どちらにせよ不思議な信仰を今の世まで日本人は抱き続けている。 この社もその一つだ。近代的な都市のさなか、府中街道と新幹線がまじわる一角に鎮座する。その名も『石神宮』 地元の人たちの尊崇が続いてる。ウラ寂れ…

明治以降の仏教界を掣肘した二つの出来事

日本の近現代仏教は社会への関わりという点で消極的である。見かねた外部の文化人が「頑張れ仏教!」、「寺よ、よみがえれ」とエールを送っても掛け声倒れになってしまう遠因があったと思う。 一つは明治初期の「廃仏毀釈運動」。 国土全体をおおった反仏教…

Vaporwave 失われた未来への喪失感

Vaporwaveは電子音楽とネット上のリミックスの一領域である。2010年代に生まれたてのホヤホヤのジャンルだ。特徴的なのは90年のポップスやサブカルチャーを切りこまざいてノスタルジックなフィーリングをモチーフにしていることだろう。 また、こうも言える…

パヴェーゼの『月と篝火』の示唆する民族的手がかり

パヴェーゼの最後の小説『月と篝火』(1949)は戦後、名声の絶頂にあった作者の白鳥の歌というべき悲劇というよりは惨劇にちかい物語りだ。篝火は「かがり火」と読む。 パヴェーゼはこの小説発表の4ヶ月後にトリノのホテルの一室で自殺を遂げる。二重の悲劇的…

房総半島の半熟ピラミッド

ゴールデン・ウィーク中の千葉県ツアーで思わぬ見つけものがあった。ピラミッドである。 市原市の郊外、つまり、千葉県の中央部に巨大なピラミッドがある。頂上部は展望台となっていて高滝湖を見下ろせる。 圏央道のPAの一角を占める巨大な角錐台であるが、…

宗像三女神の生誕の場 宗像・沖ノ島

世界文化遺産候補「宗像・沖ノ島」というニュースが駆けめぐっている。まことにもって、海の正倉院の価値にふさわしい。 なにしろ、千年以上もの間、古代的な祭儀がこの辺境で持続していたこと。その神聖な遺物が手付かずのまま現在まで守られ、伝えられ、残…

君は丸石神を見たか?

山梨県下一円にひろがる丸石をつぶさに激写した。北杜市の街道の一角にそれは鎮座、こともなげに居座っておられる。 四辻の街道筋にあることから、辻の神なのかもしれないし、背後の屋敷の守護神なのかもしれない。これは山梨特有な典型的な「丸石様」なのだ…

消えゆく民俗芸能「つく舞」

利根川沿いの町にあえかに残る「つく舞」 古い伝統を有する民俗芸能の重要な遺物である。 奈良時代に流入した中国の古代舞楽の生き残りとも言われ、散楽雑戯の流れを汲む蜘蛛舞が利根川の下流に伝わる。江戸時代に見世物小屋の掛け物だったのが、船着場で船…

1939年のソ連との戦争 フィンランドと大日本帝国のケース

あまり対比されることがないが、ソ連は1939年に領土の西側と東側で戦争を行っている。 西側はフィンランドとの「冬戦争」であり、東側は日本人にもおなじみの「ノモンハン事件」である。国内大粛清で閉塞感気味のスターリンの大博打である。まず、よく知られ…

道路の分岐数について。

淳朴な地理的疑問だ。 五叉路というのはたまにぶち当たる。うちの近所にも一箇所(相模原市の橋本五差路)ある。 六叉路はどうだろうか? はてまた七叉路以上は存在するであろうか? 最大値は何叉路であろうか? 府中街道の八坂交差点は東京都東村山市にある…

大友皇子会館へようこそ

壬申の乱で惜しくも敗れた大友皇子、諡号は弘文天皇の流竄先はあちこちにあるようだが、三河地方のはひときわ凝っている。 ほとんど史跡あつかいになりそうだ。 壬申の乱は応仁の乱や関が原の戦いほど歴史ファンの人気はない。けれども東西の雌雄を決する戦…

近代日本の文学者たちの見世物小屋体験

明治から昭和初期にかけて、『見世物小屋』という大衆娯楽は前近代、いや江戸時代の余韻を残しながら日本の裏面を保存しつづけていたようだ。 こんな見世物のお題が含まれている。ろくろ首と海女が人気だったようだ。 へらへら坊主 海女 美女のろくろ首 砂文…

明治の物売り 山オコゼ売り について

寺田寅彦の随筆に『物売りの声』というのがあり、かつての明治初期の市井の風物詩を描いて自分の好みの一篇である。 謎の「山オコゼ売り」というのがある。 北の山奥から時々姿を現わして奇妙な物を売りありく老人がいた。少しびっこで恐ろしく背の高いやせ…

江戸の珍妙な物売り

江戸時代は世界史的にもユニークな文化を生み出した。物売りも独自なサービス業であると思う。 キリギリス売り。鳴き声を愛でるため、秋の虫を長屋の片隅に置いたりする。 狐の飴売り アメを買った子供のためにキツネ踊りを披露するとか。子供相手の商売もあ…

多摩川の新しくも古い重層的聖地

『シン・ゴジラ』なる昨年の話題作となった映画をこのほどようやく鑑賞した。 首都圏在住者の一員としてはその被害状況がこれまでのゴジラものと比較して、リアルに設定されていることに注意しないわけにはいかないだろう。 一般市民の居住地が高層化したこ…