明治の物売り 山オコゼ売り について

 寺田寅彦の随筆に『物売りの声』というのがあり、かつての明治初期の市井の風物詩を描いて自分の好みの一篇である。
 謎の「山オコゼ売り」というのがある。

北の山奥から時々姿を現わして奇妙な物を売りありく老人がいた。少しびっこで恐ろしく背の高いやせこけた老翁であったが、破れ手ぬぐいで頬かぶりをした下からうすぎたない白髪がはみ出していたようである。着物は完全な襤褸でそれに荒繩の帯を締めていたような気がする。大きい炭取りくらいの大きさの竹かごを棒切れの先に引っかけたのを肩にかついで、跛を引き歩きながら「丸葉柳は、山オコゼは」と、少し舌のもつれるような低音で尻下がりのアクセントで呼びありくのであった。


この後、寅彦は自分も買ったことを告白する。

それでとうとう母にねだって二つ三つの標本を買ってもらった。それは、煙管貝のような格好で全体灰色をした一種の巻き貝であって、長さはせいぜい五六分ぐらいであったかと思う。もちろん貝がらだけでなく生きた貝で、箱の中へ草といっしょに入れてやるとその草の葉末を蓑虫かなんぞのようにのろのろはい歩いた。海でなくて奥山にこんな貝がいるというのがいかにも不思議に思われたが、その貝の棲息状態などについてはだれも話してくれる人はなかった。海の「オコゼ」は魚であるのになぜ山の「オコゼ」が貝であるかも不可解であった。
「山オコゼ」がどうして売り物になるか、またそれを買った人がどういう目的にそれを使用するか、という疑問に対して聞き得たことを今ではぼんやりしか覚えていない。なんでも今日のいわゆる「マスコット」の役目をつとめるというのであったようである。たとえばこれを懐中しているとトランプでもその他の賭博でも必勝を期することができるというのであったらしい。

どうやら通常のオコゼではなく「貝」であったというのが興味深い。
 手元の民俗学事典によれば「オコゼ」(普通の魚のオコゼ)は呪物として幸運を招くタリスマンみたいなものになっていたようだ。

 オコゼは山神祭の供物にされるほか,山猟祈願の呪物とされる。その他オコゼを軒先や門,門口につるして外敵侵入を防ぐための呪いとしたり,山神に供えて病気平癒の祈願としたり,怪我を避ける,尋ねもの,失せものを探し出すための呪いとされる。このように呪的効果の広いオコゼは山間部においてとくに珍重され,そのため旅商人がみやげとして持ち歩く風も見られ,さまざまな習俗が流布したものと考えられる