明治以降の仏教界を掣肘した二つの出来事

 日本の近現代仏教は社会への関わりという点で消極的である。見かねた外部の文化人が「頑張れ仏教!」、「寺よ、よみがえれ」とエールを送っても掛け声倒れになってしまう遠因があったと思う。

 一つは明治初期の「廃仏毀釈運動」。
 国土全体をおおった反仏教運動は中央権力をファナティックな平田国学が牛耳った、からだ、そんな皮相的な理由ではない。おそらくは民意も反仏教的になっていた。とくに幕藩制の離脱のような改革に向けて仏教界は動きが鈍く、その根本は反動的だったからだろう。民衆からすれば武家政権への癒着にしか見えなかったのだろう。

 もう一つは大逆事件だと思う。これは明治の国家権力の暗黒面を象徴した事件だった。大逆事件連座したのは幸徳秋水らの社会主義者だけではなかった。幾人かの僧侶、仏教の現状に危機感を持った良心的で誠実な人物も連座させられた。

 曹洞宗内山愚童や井上秀天、真宗大谷派の高木顕明、臨済宗の峯尾節堂、真宗本願寺派の佐々木道元真言宗の毛利紫庵らだ。なかでも内山愚童は死刑の処せられている。その属する教団も一様に彼らを破門同様の処断を下している。
幸徳秋水らの冤罪は今や明らかであるが、仏教の慈悲の働きに通じる貧困への挑戦は行き場を失った。近代の社会運動に関心があった仏教青年僧の動きは、ここで断絶させられたのだ。社会問題への関与は閑却されてゆく。
 残されし道は右傾化、井上日召らのような超国家主義に結びつく活動だが、権力衝動に駆られた運動が大乗仏教と相克を起こさないはずはなく、その影響も限定されたものだったというのが後世の評価であろう。

 かくて、日清日露と国家への協力が当たり前となった仏教界から第二次世界大戦に対する能動的な反抗が生まれようはずもなかった。ひとえに戦争協力したのだ。これはドイツにボンヘッファーが出たプロテスタントの状況に比較して、貧困なる慈悲心、精神の多様性の欠落を示しているといって良いだろう。

 その後、「神々のラッシュアワー」と呼ばれる戦後の新宗教の勃興にあって、日蓮宗系は大きな飛躍をしたといえる。だが、数の飛躍であって、精神面の深化というにはまことに心細い限り、と自分には思える。
 戦後、100年になろうとしているのだが、仏教寺院はあいかわらずの葬式会場やヒーリングサロンでしかないように思うのだ。


【参考資料】


 宗教と国家の関係を切迫感を持って追求した数少ない問題提起の書。

宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証 (ちくま学芸文庫)

宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証 (ちくま学芸文庫)

 おそらくはオーム真理教の事件も宗教的空白を衝いて暴発したものであろう。

近現代仏教の歴史 (ちくま学芸文庫)

近現代仏教の歴史 (ちくま学芸文庫)