ラドヤード・キップリングの『キム』のインド

 とかく大英帝国礼賛の国粋主義者と見なされるラドヤード・キップリングはそれ以上にホンモノの文学的才能と人間を見抜く観察力を有していた。彼の短編もいいけれど長編小説もいい。
 『キム』はその代表的な作品なのだろう(これ以外には児童小説しか読んだ記憶がない)

 その設定は大英帝国あるいは東インド会社統治下のインド帝国だ。インド人たちにサーブと尊敬の念をこめて呼ばれる白人はおおよそイギリス人だ。
 主人公の少年キムはその白人の息子なのだが両親をはやくに喪い、すっかり現地であるアンパラ(北インドの都市)の現地人に溶け込んでいる。英語は片言しか話せないが、ウドルゥ語を話せ、機敏で賢い少年である。世間の裏の裏にも通じているけれど正直さは誰にも引けを取らない。
 裏社会に通じている大金持ちの商人マハブブ・アリとも懇ろである。じつはこの男、英国の諜報機関の手先だったりするのだ。
 冒頭でチベット人のグル「ラマ」に出会う。ヒマラヤの奥地からブッダガヤの聖地を求めてやってきた老人に魅せられて、キムは弟子となること即座に決心する。
 というあたりから、大英帝国礼賛一辺倒のストーリーではなくなってくる。

 このラマという名のチベット人の性格は淳朴で信心深く、どんな人びとにも優しく尊敬される人物として描かれる。なにより主人公のキムをいっぺんに心服させてしまったのだ。
 仏教徒であるラマはボティヤ(チベット人)と呼ばれるのだが、舞台のアンパラは多くの民族の行き交う場所であってさえ、珍しい。ましてや老人の巡礼者であり、インドでは絶滅した仏教徒でもある。
毎回のように「なんとおそろしく広い世界なのだ」と嘆声をあげるのが微笑ましい。

 本筋は起伏と波乱に富んで面白いが、それはそれで堪能できる。が、それはそれとして、この小説で扱われるインドの民衆世界が本ブログの眼目だ。
 じつはラマは民衆の喜捨とお布施で広大なインドを一人旅している。イスラム教やパーシーやヒンドゥー教の人びとからも分け隔てなく、喜捨を受け、尊敬されるのだ。
多分、これが20世紀の前半までのインド界隈の実像だったのだろう。宗教紛争や対立はここにはない。
 この相互に入りまじた宗教の混沌と融和の状況は予期せぬものだったので特筆しておきたい。

 物語りの中盤で大英帝国の駐在軍人たちが登場する。キムとの彼らとの繋がりが彼の運命を激変させる。フリーメーソンも絡んでくる(キプリングはロッジのメンバーだった)
 ここでも、チベット人のラマは彼らの驚きと尊敬をも勝ち得ることになるのだが、それは読んでのお楽しみとしておこう。自分は不覚にもウルウルしてしまったことを白状しておこう。

 ところで、キプリングは日本にも二度ほど来ている。その観察は精確なものだ。『キム』でも鎌倉の大仏についての詩が引用されている。大乗仏教とも日本で出会っていたのだ(インド駐在時にも知っていたのだろうけど)
 彼にとって明治期の日本は取り立てて不思議な国でも神秘な国でもなかった。インドや香港でつぶさに東洋を見てきているキプリングには美化や神秘化は無縁だった。ただ、こうも書いている。

 日本人は偉大な国民である。彼らは花を友とし、子供たちとともに生きてきた。幸いなことに日本人の性格には、究極的な強固さが欠けている。なるほどそうした強さがあれば、世界の列強を相手に渡り合うこともできるだろう。われわれにはその強さがある。だがわれわれの国では、花といえば、本物の花の代わりに、電気スタンドの傘にあしらったガラスの花、ピンクといえばウールのマットの染め色、小犬といえば、赤と緑に彩色した陶器の犬だ。これが、強さの代償としてわれわれが得てきたものなのである

 自国の工業製品にはウンザリしていたが日本のそれには工芸品としての価値を見出していたのだ。

少年キム(上) (岩波少年文庫)

少年キム(上) (岩波少年文庫)