パヴェーゼの最後の小説『月と篝火』(1949)は戦後、名声の絶頂にあった作者の白鳥の歌というべき悲劇というよりは惨劇にちかい物語りだ。篝火は「かがり火」と読む。
パヴェーゼはこの小説発表の4ヶ月後にトリノのホテルの一室で自殺を遂げる。二重の悲劇的幕切れを象徴する作品であったわけだ。
ストーリーはこうだ。
イタリアの辺境の貧しい村で私生児として育った主人公は第二次大戦後、故郷に戻ってくる。そこで見出したものは、昔ながらの閉鎖的な階級社会の残骸とファシズムとパルチザン、マルキストたちの三つ巴の争いの無残な結末である。ちなみにパヴェーゼはマルキストだったようだ。
親友であるヌートから、ほそぼそと語られる人びとの末期の数々。養父であったマッテーオ旦那の美しい三人の令嬢(といっても田舎の娘)たちの末路が淡々と展開されていくのだが、末娘の「聖女」サンティーナの形象は後半近くで、クローズアップされる。
主人公は幼女、子どもとしてのサンティーナしか知らない。だが上の二人の娘たち以上の容姿をもつ若い年頃な女として、血みどろの戦争のさなかに放り出された。保守的な社会へ不満をもつ金髪の娘は、結局のところ、ファシスト、ナチやパルチザンの暴力の支配に立ち向かうすべもない。
ムッソリーニ政権が打倒されてからのナチの軍事的支配とそれに対するパルチザン闘争は苛烈なものであり、この片田舎でも村人たち、村の青年たちは翻ろうされる。多くの死が訪れ、その死はほとんど無意味なものであった。
ヌートが末尾でふり絞るように語るサンティーナの最期とは裏切者への処刑だった。村のパルチザンである若者たちの手で射殺される。彼女はそれでも二十歳だった。
ぶどう畑からたくさんの枝を伐ってこさせ、見えなくなるまで彼女を覆った。そしてガソリンをかけ、火をつけた。昼にはすっかり灰になっていた。去年までは、まだそこに残っていた、篝火を焚いたような跡が
小説末尾のヌートの言葉だ。
この文章はその衝撃性のゆえに、数限りなく引用されることになる。
しかも、その表層的な理解は広まるのだが、実はも一つの側面は見過ごしがちとなる。
「篝火」による火葬は異教的もしくは民族的な儀式を踏まえた人身御供であるのだ。それはパヴェーゼの直系の作家であるイタロ・カルヴィーノの指摘である。
イタリアの辺境ではキリスト教の浸透がすべてを覆い尽くしたわけでなかった。農民たちは昔ながらの季節に基づいた祭りを続けていた。
月相の変化と聖ヨハネ祭の篝火がタイトルに含まれる。「聖ヨハネ祭の篝火」は「大地を目ざめさせる」豊穣の祭礼でもあった。ここにはJ.G.フレイザーの影響も指摘されている。
サンティーナは土地の蘇りのために捧げられたと言葉にしてしまうとかなり場違いな表現になるのだけれど。そして場違いなのはその通り。信仰無きファシストやマルキストには救いの幻想は訪れるはずがないのだから。
【参考文献】
パヴェーゼの傑作。残念ながら現代日本ではそれほど話題にもならず、売れてもいないようだ。物語りへの入り込みにくさがあるのだろう。主人公の故郷の思い出とブラブラ歩き、過去と現在が交錯する。それだけ村落共同体、イタリアの「きちがい部落」の閉鎖的で封建的、しかも貧しい状況が読者に染み込むのに手間をかけている。
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読みの達人であるもカルヴィーノはパヴェーゼ『月と篝火』の論評を最後に置いている。最初にカルヴィーノの才能を評価した恩人でもあったのであります。パヴェーゼがフレイザーの影響を受けたなどというのはこの同時代人の証言がなければ知りえなかったですね。
カルヴィーノとパヴェーゼは作風が異なる。前者の幻想的な味わいはパヴェーゼが属するネオレアリズモに似ていない。しかし、民族的古層の探求は共通のポイントなのだろう。
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パヴェーゼの翻訳者である著者はトリノの終焉の地へ赴く。まだ、パヴェーゼの末期の現場のホテルの目撃者が生きていた時代だった。自殺の第一発見者のホテルの主人の嘆きが残る「こんなにもフサフサした頭髪があるのに!」
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ところで、カルヴィーノやパヴェーゼを含めて、この世代の知識人はイタリアの精神的古層というべき民衆のあり方に目ざめだしている。カルロ・レーヴィもその一人だし、歴史学者のデ・マルティーノやカルロ・ギンズブルグはとくにそうだ。20世紀のイタリアで全体主義の盛衰をきっかけに起きたのは興味深い事実だ。