お伊勢参り、大山詣とか成田山初詣とか、江戸時代から何かにつけて日本人は「聖地巡礼」にかこつけては旅をしていた。
その旅という言葉は「足袋」におけるように歩く旅が基本であった。杖をついてお参りするのが常識であった。それがいつの間にやら、便利な交通機関で「聖地」の目前まで運び込まれるのが当然な世の中になった。
どうも日本では「鉄道会社」がその宗教ツーリズムのキッカケを作り出したというのが真相であるようだ。
もちろん世界各地でもそれに類似な動きがあるのは言うまでもない。
人気アニメの舞台、というよりロケ地(背景画像がご当地で取材されている場所)も「聖地」の仲間入りして久しい。その始まりは「らき☆すた」の聖地である鷺宮神社(埼玉県)とされている。近頃では東南アジア系旅行客が鎌倉のバスケ漫画「スラムダンク」の聖地である江ノ電の踏切にやってくる。
それと対比されることが殆どないけれども、「世界文化遺産」も一種の「聖地」化の宣言であるようだ。万里の長城からギゼのピラミッドまで無色透明な「文化価値」で選別された「聖地」である。
こうした「聖地観光」のそれぞれをポジショニングしてみた。
縦軸は正統と異端、あるいは伝統と派生を対比される軸。横軸は聖と俗、あるいはハレとケを対比させる軸にしてみた。
右上の純粋な宗教次元には「バチカン巡礼」や「メッカ巡礼」などが位置する。
左隅にはマカオやラスベガス、あるいはハワイやニースのような買い物と娯楽をメインとする本来のツーリズムがある。
だが、今日日(きょうび)はこんな単純化されたステレオタイプでは割り切れないアニメの聖地巡礼という群衆行動が割り込んできている。
これって『冬のソナタ』のロケ地参りと何が違うのだろうか?
ドラマや映画のロケ地であれば登場人物は3次元の生身であるのだが、アニメは2次元世界の非実在性があからさまなキャラが主人公になる。ご当地に赴いたにせよ、そこはドラマとは異なり登場人物がいるはずもない空虚なトポスであるはずだ。
それを承知でアニメファンは巡礼者となる。明らかに「架空存在」を感じるために現地に入るのだ。
リアルワールドで架空存在を身近に感じる。アニミズム的な行為のために身を捧げるのは神道的な風儀であるのだ。
世界遺産も異質な「聖俗二元性」への介入行為であるようだ。国際機関による認証という行為により伝統的な聖俗価値観に関係なく、「文化価値あり」マークをつける。そうすると何千万人という海外旅行趣味の群衆がツーリズムのコースへの組込みを考え出すのだ。
これは宗教の世俗化の一つである。
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「ブラタモリ」では大宮と氷川神社がテーマになったけれども、それを包括的に扱ったのはこの新書だろう。
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