2015-01-01から1年間の記事一覧

Line ラインの多義的な意味

英語の辞書の代表作、あるいは名誉ある地位にある辞書、1755年のサミュエルソン。ジョンソンの『英語辞典』において、「ライン=line」の語義をあげている。1)長さの延長 2)細いひも 3)あらゆる活動を導く張り渡された糸 4)釣り針に結ばれた糸 5)…

オードリーとアンネの話し

女優のオードリー・ヘップバーンとアンネ・フランクの意外な共通点は第二次世界大戦のオランダでナチ・ドイツに酷い目に合わされたことだろう。 強制収容所であえない最期を遂げるアンネ・フランクは有名なので、ここではスキップする。オードリー・ヘップバ…

ことばを知る −旧約聖書とコーランの差異

『コーラン』も実のところ、ユダヤ教やキリスト教に影響を受けている。それどころか、ユダヤ教から始まる神からの伝言を伝える役を引き継ぎ、ムハメッドは唯一神からの最後の預言者である。しかし、『コーラン』では微妙な違いや他の伝承が紛れ込んでいる。 …

司馬遼太郎の観た「超能力」

あまりに著名だけど盲点になっているとしか思えないのが、司馬遼太郎が『街道をゆく』で書き残した超常現象の体験である。 超能力に批判的なはずの週刊朝日も当時は緩かったというか、大家には頭が上がらなかったというべきか。 その体験を引用しておこう。…

カオスの意外な語源

カオス=混沌の意味の大本は、ギリシア語の「khasme」つまり、「あくび」である。「kha」とはクヮーと口を開けることである。河野与一はその随筆で書いている。 更に、河野与一が言うにはヘシオドスの『神統記』の宇宙創生の「khaos」も、 始めにあくびいで…

維摩経vs論理哲学論考

表題から深い議論を期待してはいけない。 表面的な比較をしてみるだけだ。 『維摩経』は在家仏教の教えをとく経典、大乗仏教の名作として知られる。維摩は仮想の存在だ。他方、『論理哲学論考』はウィトゲンシュタインという分析的知性の強靭な思考の産物で…

縄文図象からみた大地母神としてのイザナミノミコト

最近になり縄文図象学なる研究があることを知った。考古学からはみ出し縄文土器の図象から古代信仰を読み解く試みだ。 とりわけネリー・ナウマンなるドイツ人の研究が刺激になって、「山の神」なるシンボルを土器から拾い出している。日本民俗学では山の神は…

兵馬俑と埴輪の比較霊魂論

秦の時代といえば前三世紀であり、いかに兵馬俑が古代であるといっても後三世紀の日本の古代=古墳時代前期より数百年も前だ。だからこそ、そのありえない程の写実主義は「秦」の人間像が確固たるものだったかを物語るのであろう。兵馬俑で不思議なのは個々…

現代文明に埋め込まれた未開空間

名古屋以西の大都市では神社が繁華街の中にまるではめ絵のようにスッポリと埋め込まれている。ソレに比して関東圏の大都市の街なか神社は申し訳な下げにお稲荷さんがちんまりと鎮座する感がある。 下の写真を見られよ。名古屋駅から歩いて数百メートルの高層…

自分と神社と日本人論

近代社会においては宗教は政治経済と切り離され、自然科学による還元主義的なな世界像に侵食される。その結果としては、かろうじて価値観や人生観にその活動の場を残すだけとなっている。 世俗化とマックス・ウェーバーは概念化した。R.D.レインならえば天使…

古代懐疑主義入門の快楽

今月の岩波文庫『古代懐疑主義入門』は久々の充足感を「読前」から味わえた。「読後」の充実感ではなく、「読前」というのは独善的ではないかと指弾されるかもしれないので、急いで弁明しておく。 この手の出版物が、なにゆえ自分に充足感を与えるのか?1)…

中世神話的世界の投影 説経節「さんせう太夫」

森鴎外の作品『山椒太夫』の元ネタとしてしか知られていない中世の説経節『さんせう太夫』は岩崎武夫や川村二郎らの読みにより、かなりdeepな生き様と末世的かつ救世的な情念の世界が舞台であることが、理系の自分にすら想像可能である。 ちなみにノーベ…

千葉の日本寺大仏と謎のET像

関東圏の大仏というと鎌倉の大仏が知名度高い。しかし、千葉県の日本寺大仏(千葉県安房郡鋸南町元名184)も味わいがある。 地元の声ではバーミアンの石仏にも負けない石造の大仏(daibutu)である。 日本寺という大雑把なネーミングにもかかわらず、歴史が…

豊川稲荷の異空間

五月晴れの土曜日、日本三大稲荷の一つ、豊川稲荷に詣でた。稲荷信仰では神の使い役に狐がなる。狛犬はおらず、狐が境内いたるところに鎮座する。場所は愛知県だ。 神仏習合のなごりでお寺のたたずまいの本堂や各種のお堂がところ狭しと並ぶ。その奥に、狐塚…

市川市の真間

真間とはそうとう風変わりな地名だが、万葉集の真間の手児奈の歌からも古い由来を持つ土地柄というのがわかる。 この真間には、柳田国男も『地名の研究』で注目している。 実際、柳田国男は 豊前下毛郡和田村大字田尻字間崎 因幡八頭郡登米村大字横地字儘山 …

井筒俊彦の言霊哲学

20世紀に欧米の哲学界を席巻した論理実証主義は、現在のところ日常言語分析もしくは言語哲学というものに収斂した模様だ。 世界を科学的に語れる実証的な哲学というものを模索しているうちに、言語とは何かに問題と対象が絞り込まれたようなのだ(自分は素…

地蔵の多様なネーミング

ご近所(100m以内)にも地蔵尊があり、いまだに供え物がある。昨日、入手した『医と石仏』によれば、その名に多くのバリエーションがある。 かんかん地蔵 洗い地蔵 お化粧地蔵 おしろい地蔵 ほうろく地蔵 とうがらし地蔵 とんがらし地蔵 塩盛り地蔵 塩どけ…

東京散策の達人 永井荷風

ブラタモリでのタモリの凝り性は、なかなか隅に置けない。しかし、その原型は荷風にあるよね。 誰もが知っているが読んではいない名随筆『日和下駄』を紐解いてみよう。 こんな表題が並ぶ。 日和下駄(ひよりげた) 淫祠 樹 地図 寺 水 ロジ 閑地 崖 坂 夕陽…

「やっさいもっさい」の語源について

千葉県木更津の風物詩「やっさいもっさい踊り」は全国的にも知名度が高い。 その語源については、木更津甚句の「そこのけ」からともう船着場の「矢崎」「森崎」に由来するとされる(wikipedia)。 あえて異説をたてる。 大阪府堺市の石津太神社の神事「ヤッサ…

朝鮮から見た倭人の学習熱

司馬遼太郎によれば戦国末期に、藤原惺窩という儒学者がいた。彼は日本の野蛮さを軽蔑し、隣国の朝鮮に渡ることを生涯の願いとしたという。当時の、朝鮮は儒教による国家運営の模範だったのだ。 江戸時代になり林羅山が幕府お抱えの儒学者となるが、惺窩の弟…

石がかたる

ハイデッガーは「石には世界がない」とする。人間は世界は形成する。それが存在論的差異だ。ヒトだけが世界を紡ぎだし、物語りをするというのがドイツの形而上学者が言わんとすることだろう。 しかし、森有正はフランスから帰国して箱根に安らいながら、「日…

いもずるネットワーク

山中共古が生きた時代とその人脈は大きな共感を唆るものだ。 山口昌男の『内田魯庵山脈』をもとにその概要を描いてみよう。 幕臣であった山中共古は静岡で教会牧師を務める傍ら、考古趣味といでもいうものに巻き込まれる。それが『集古』という雑誌とその中…

乞食と神仏の文芸

芭蕉の句を読む。 菰を着て誰人います花の春 菰(こも)を着る人とは乞食であり、その下層民がめでたい正月の春に訪れるという近代人にとっても意表をつく句である。 同時代人の京都の俳諧からも非難された。 しかし、折口信夫以降の我らは芸能の起源につい…

流され王伝説

折口信夫の「貴種流離譚」あるいは、同じことだが「流され王」伝説と命名したのは柳田国男であろうか。古代の関東では多くの渡来人が土着したことが知られている。下図を見られたい。 『古代の日本7 関東』(角川書店)より 国司である百済王たちは亡国の民で…

先進国の情報消費社会に蔓延るゲームは60年代の遺産or精神的残骸

ネトゲでもスマホゲームでもファミコンでもwiiでもXBOXであろうと、ゲーム世界はこの世界と違う異界を舞台にする。 パズルでもシミュレーションでもシューティングでもRPGであろうといずれも内的世界、イデアルな世界が背景になる。 典型がダンジョンゲーム…

津々浦々をつくづく味わう新書

日本の風土と遺跡と聖地を知るために国内を巡るには新書がふさわしい。文庫では情報の一覧性に薄く、単行本は重すぎる。 旅先に携えて歩くにはポケットに入る新書がピッタリである。そういう高邁なこころざしで役立ちそうな個性的な新書を集めてみた。 島か…

仏教界のテイヤール・ド・シャルダン、いでよ

カソリック神父から出た異端の思想家である、人類学者テイヤール・ド・シャルダンは禁書指定のまま生涯を終えた。その斬新な宇宙観はイエズス会どころかローマ教皇庁の認めるようなものではなかったためだ。 彼は中国に、20世紀前半の戦塵煙る中国大陸に布教…

横浜の浦島太郎伝説

浦島太郎伝説が横浜にあるというとフザけた話のように思われるかもしれない。でも、これは浦島太郎研究家たちの常識に属する事実である。 『江戸名所図会』(角川文庫版の第二巻)から引用しておこう。 浦島明神(本堂に安す。八千歳の御社とも称するよし縁…

「かひ」のその後

折口の指摘にあるように貝は包まれたもの、包むものであるとすれば、昔の寝具の「かいまき」もその語感となじむようである。元ネタは折口信夫の『霊魂の話』だ。 古語辞典をみると「かひご」は卵とある。古き人々は貝と卵をおなじカテゴリにあると感じていた…

『今昔物語集』の一挿話の語りかけるもの

「西方遠くに阿弥陀仏がいらっしゃる。どんなに悪業の者でも念仏を唱えると、必ず迎え入れてくれ、仏となることができる」 阿弥陀仏のありがたさを説く僧に出会った讃岐の大悪党源太夫は一大改心をする。それを一途に信じこむ。 我ハ此ヨリ西ニ向ヒテ阿弥陀…