山中共古が生きた時代とその人脈は大きな共感を唆るものだ。
山口昌男の『内田魯庵山脈』をもとにその概要を描いてみよう。
幕臣であった山中共古は静岡で教会牧師を務める傍ら、考古趣味といでもいうものに巻き込まれる。それが『集古』という雑誌とその中心にいた内田魯庵だ。
これは民間学の起源とでもいえるもので、人類学者坪井正五郎が主唱。
茶を飲み、菓子を食しながら、楽しみのなかに存分各自の意見を語る一種の遊びをかねての会合を図る
とされるが、なんだかこれでは分かるヒトがいないような紹介文がある。
名誉会員に名があるのは蜂須賀茂顯、大槻文彦、坪井正五郎、箕作元八、三上参次などだ。集古会の場所は東京理科大学人類学教室である。
趣味の範囲は、「馬に関するもの」「古玩具」、「古墳物」、「古瓦」、「古写経」、「犬に関するもの」、「石器時代品」、「軟派書籍」、「小道具」、「漫遊」、「山男」、「宗教、古銭、狂歌」とうとう、なんでもありだ。
最後の二つはそれぞれ柳田国男と山中共古の自撰である。
山口昌男が明らかにしているように、集古会は江戸文人の伝統、馬琴らの「耽奇会」の後継者のようなもので、文人のネットワークであり、江戸文化の伝承を担ってゆく。
そこから、民俗学の出立の書『石神問答』も出てきたわけだ。三田村鳶魚の江戸学や森銑三の文人伝記などは江戸文化の直系子孫なのであろう。山中共古もそうした血脈に位置づけて考えるべきなのだろう。
集古会での共古の投稿をみよう。
下野薬師寺古瓦
千社参りの創業者天愚孔平
甲斐湯村の梵字碑
ひいな人形の系図
馬と銭貨
福助考
阿蘭陀文字の千社札
『集古』も後半になると南方熊楠や森銑三も参加しだす。三田村鳶魚も柴田宵曲も関わりがでてくる。
境界のない自由な高等遊民の世界があったわけで、そこから貴重な精神的な遺産の幾筋もの水脈が流れ出てくるのだ。
これを内田魯庵ふうに言えば芋づるだ。
大森貝塚のモースが残したピーポディコレクションにある陶器や民具などの収集は、実のところ日本人のなかでも着実になされていた。それはそれでちょっとした驚きである。
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