乞食と神仏の文芸

 芭蕉の句を読む。

菰を着て誰人います花の春

 菰(こも)を着る人とは乞食であり、その下層民がめでたい正月の春に訪れるという近代人にとっても意表をつく句である。
 同時代人の京都の俳諧からも非難された。
 しかし、折口信夫以降の我らは芸能の起源について語るべきことをもっているので、京都の差別意識の軽薄さの深さを思うだけだ。この非難がそのまま京都在の俳人たちの似非芸能性を露わにしただけであろう。

 この侘びの芸術は日本において社会の階層性を超克しただけでなく、むしろ芸の本源にまで遡ることができたのだ。
 言うまでもなく、北条民雄らの被差別文学や小林多喜二プロレタリア文学とも異なる道である。


乾鮭も空也の痩せも寒の内

 注釈では空也とは下層の勧進衆であり「賤民」であるとしている。
 空寒い年の瀬に、賤民聖たちの鉢叩きに聞き入りながら老残の身の侘びしさ、心細さを歌い込む。
 花月鳥獣や下層民までにオノレを投影する業師というべきだろうか?
 カラカラに干からびた干し魚と捨聖の対比はヨーロッパ文学の発想にはないだろう。また、いにしえの空也上人を嘲弄するのでもない。
 ボードレーヌなどのあずかり知らぬ境地としか言いようのない。
枯淡の味わいだけがある。
 しかし、神仏はここにも仄かに感じられるほどにはいる。
 

 『冬の日』の連歌師たちとの心の協奏曲について語ろうとしていたのだが、話がそれた。
 名古屋の五歌仙との連歌の世界が「言語哲学」あるいは心の社会性について、いろいろ示唆を与えるところの糸口をメモるのが本来の目的では、あったはず。
そうもいかずに時間切れである。