『放浪記』の描く流民社会

 林芙美子の『放浪記』は演劇界では名の知れた作品だ。主演の森光子(故人となられた)の2000回達成は話題になった。それもそれとして興味深い現象だが、もとの小説が描いた非定住民は、下層民のライフヒストリーを知るうえでさらに、きわめて興味深い。

 書き出しにある「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」がその内容を物語る。九州や四国の炭鉱街など不特定多数の流れびとが集まり暮らす、明日をも知れない流浪の民木賃宿にはこんな奇妙な集まりが形成される。

 通称シンケイ(神経)と呼んでいる、坑夫上りの狂人が居て、このひとはダイナマイトで飛ばされて馬鹿になった人だと宿の人が言っていた。毎朝早く、町の女達と一緒にトロッコを押しに出かけて行く気立ての一優しい狂人である。私はこのシンケイによく虱を取もてもらったものだ。彼は後で支柱夫証澁出したけれど、外に、島根の方から流れて来ている祭文語りの義眼の男や、夫婦者の坑夫が二組、まむし酒を売るテキヤ、親指のない淫売婦、サーカスよりも面白い集団であった。

 昭和初期には祭文語りのなりわいが残っていたのが面白い。

 主人公の「フーちゃん」は学校を中退して、物売りをやる。扇子を売り歩くのだ。

私の扇子も均一の十銭で、鯉の絵や、七福神、富士山の絵が描いてある。骨はがんじょうな竹が七本ばかりついている。

 そうして母親と養父と三人ぐらしをしている。親子揃って物売りをしながら生計を立てているのだ。

 そうした浮遊民でありながらも主人公はこの時代にありがちな、夢見る文学少女になってゆく。その辺りは、作者の教養小説的な要素でもあろう。

 このころの思い出は一生忘れることは出来ないのだ。私には、商売は一寸も苦痛ではなかった。 一軒一軒歩いて行くと、五銭、二銭、三銭という風に、私のこしらえ
た財布には金がたまって行く。そして私は、自分がどんなに商売上手であるかを母に賞めてもらうのが楽しみであった。私は二ヵ月もアンパンを売って母と暮した。或
る日、街から帰ると、美しいヒワ色の兵児帯を母が縫っていた。         
「どぎゃんしたと?」

 ここから先は原作を読んでいただきたいものだ。
 演劇も良いけど、それは作品のダイジェストでしかない。なので、短くも太く生きた林芙美子の文学世界に没入してほしいものだ。
 21世紀の日本から失われた精神、貧しいけれどもバイタリティがあり、土俗的でありながらも抒情的、希望はないようでありながら、絶望とは無縁の慎ましい生がある。