石がかたる

ハイデッガーは「石には世界がない」とする。人間は世界は形成する。それが存在論的差異だ。ヒトだけが世界を紡ぎだし、物語りをするというのがドイツの形而上学者が言わんとすることだろう。
 しかし、森有正はフランスから帰国して箱根に安らいながら、「日本の自然はヒトを孤独にしない」とつぶやく時、古事記語り部たちと同じ世界にいる。『草木みな能く言語ふ』のが古代人だけの感覚ではないのが、やはり「特殊」なのだ。

 列島の自然にあって「石」は語る。石は子をはらみ、成長する。それは「君が代」に歌いこまれている。「さざれ石の巌となりて」の「さざれ石」は岐阜県のさざれ石公園にあるものとされている。
 石が大きくなるという民話を聞いた事があろう。柳田国男の「袂石(たもといし)」に幾つか柳田翁が集めた例がある。信州の小野川にある富士石は農民が富士山から持ち帰った小石が大きくなった。全国から集めた類似の説話はそれぞれに面白いがどうもこの「袂石」ではまとまった説明を放棄している節がある。
 折口信夫は恩師の散漫な説明になんとか筋道をつけようとした。それが『漂着石神論計画』である。

諸国海岸に、古代より神像石(カムカタイシ)の存在した事実。

 ここからスタートして、「玉」が御霊となるところまで通して論述しようとした。

29 玉の大きくなる事。
30 世襲の玉と、その増殖した物を伝ふる家系。
31 玉を貰ふ事が、魂を貰ふことになる。――みたまのふゆ。

30行目が「君が代」にかかわる。
 古人は石の特別なる存在を「たま」とし、それを形代にみたてて想いをそれぞれにヒトに託したのだ。

 古代人ではなく中世人が石を日常の場に持ち込んだというのが唐木順三だ。

唐木順三の好エッセー「石」に、酒を飲んでは天竜川の河原に石を拾いにゆく教師の話がある。その床の間には石が並んでいる。教師と石との語らいの世界を唐木は想定している。その伝統は「日本庭園」が姿をみせだした室町時代にあると唐木は考えている。
 江戸時代の木内石亭を経由して、つげ義春の「無能の人」にまで連なるのだ。
自然石、陰陽石は神社にまつられ、彫られた野の石仏や地蔵になり、石碑や記念碑になる。墓石はその系統にかかわるのだろう。
 それにしても、この国には、石の信仰が根強く残るのであろう?