「かひ」のその後

折口の指摘にあるように貝は包まれたもの、包むものであるとすれば、昔の寝具の「かいまき」もその語感となじむようである。元ネタは折口信夫の『霊魂の話』だ。
 古語辞典をみると「かひご」は卵とある。古き人々は貝と卵をおなじカテゴリにあると感じていた。蚕もそうだという。
 これらの自然物は「包まれてあるもの」なのであろう。それとともに母なる自然からの贈りもの、幸であるという意味がまとわりついているのではないか。
「かひなし」、つまり、甲斐がない=効果がないという言葉も並んでいるのは、どう捉えればいいのであろう?
  yarigai=やり甲斐=やり貝という発想のCMがあった。背中に貝殻をつけて仕事をする人が出ていた。このダジャレ的な甲斐=貝なる連想は、ひょっとすると真相をついているのか。

 貝を探し当てる行為が採食活動の中心だった縄文期の名残かもしれないと夢想するのはほんわかと楽しいものがある。