細男(せいのお)とは何ぞや

 かつてこのブログで神楽の古いバージョンである催馬楽の、「阿知女作法(あちめのわざ)」を解釈しようしたことがあった。

あちめ、おおおお、おけ、
あちめ、おおおお、おけ

 古式ゆかしい演奏はこの「文化デジタルライブラリー」で体感できる。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc8/deao/mikagura/index.html

はじめて聴く人は何が何だかわからんであろう。日本語の歌であるというのが辛うじて判別できるくらいだ。自分も当時は「意味不明すぎ」と書いたものだ。
 でも、今しがた折口信夫の「偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道」を読んで納得できる。

阿知女作法と言ふのは、太平記が伝へる名高い伝説でも、想像が出来る様に、「阿知女々々々」は磯良を呼ぶので、「於々々」は磯良の返答である。

 海民の先祖神である安曇磯良が阿知女のことなのだという。
 それは兎も角、細男(せいのお)である。こりゃ何ぞや?
おおむね、平安初期から、神社の祭礼で舞を舞った舞人、またその舞とある。奈良春日若宮の御祭で人の舞う、細男舞が唯一残っているとされる。
 細男という当て字は細女(ウズメ)と対をなす。アメノウズメも天の岩戸で舞を舞った。

この解釈も折口信夫の解説に従うのが良いだろう。

八幡神の伴神でも、まだ御子神としての考への出ない前のものが、即、才男(=細男)である。

その本来の姿は「人形」であり、人形の演舞であったろうというのが折口説だ。

平安朝の文献に、宮廷の御神楽に、人長の舞ひの後、酒一巡して、才の男の態がある、と次第書きがある。此は一種の猿楽で、滑稽な物まねであつたと思はれる。「態」とあるによつて、わざ・しぐさを、身ぶりで演じた事が示されて居る。
この「態」の略字が「能」である。田楽能・猿楽能など言ふ、身ぶり狂言の能は、此から来た。併し、宮廷の御神楽に出る、才の男が人間であるのは、元偶人が演じた態を、人間がまねたのだと考へられる。一体、今日伝はる神楽歌は、石清水系統のものである。此派の神楽では、才の男同時に青農で、人形に猿楽を演ぜしめたのであらう。だから才の男は、人形であるのが本態で、宮廷の御神楽に出る才の男が人間であるのは、其変化である、と見る考へはなり立つと思ふ。

 折口信夫は知っていたかどうか、わからないが、九州の中津市の八幡古要神社に人形による細男舞が残存している。傀儡舞の一部として今に伝えられている。なかなか意義深いことだ。