中世神話的世界の投影 説経節「さんせう太夫」

 森鴎外の作品『山椒太夫』の元ネタとしてしか知られていない中世の説経節『さんせう太夫』は岩崎武夫や川村二郎らの読みにより、かなりdeepな生き様と末世的かつ救世的な情念の世界が舞台であることが、理系の自分にすら想像可能である。

 ちなみにノーベル賞作家クッツェーの『マイケル・K』との対比により、その物語の機構がどの程度のものか、それと、ある意味普遍的な有り様をもつことを暗示してみたい。

 マイケルは南アフリカの黒人であり、障害児でもある。その幾重にも不自由な身は、中世世界の下人に類似であろう。安寿と厨子王はもとは地方の有力者の子どもであるが父親の没落により、人買いに騙され母親とともに山椒太夫の奴隷にされる。
 マイケルの母親は不治の病に侵される。手押し車にその親を乗せてマイケルは故郷に旅立つ。
 厨子王は姉の手助けで無慈悲な山椒太夫と冷酷非情な次男の手から逃れるが途中で足腰の経たぬ病に冒される。彼はこつじき(乞丐人)となり土車に乗せられて大阪の天王寺に旅立。非人であり病人なのだ。
 両者ともに暴力と差別の世界に生きている。マイケルの望みは自由な境涯だ。厨子王は天王寺にある聖なる救済。
 その限定された知識で両者は絶望とは無縁の行動力、それにたくましさを示す。

クッツェーの小説の一つのモチーフはドイツ人作家クライストの『ミルヒャ・コールハースの運命』という圧政への可逆な反抗を描いた中編である。ある意味政治的な抗議が込められている。
 説経節の世界は政治的自由という概念はない。不治の病からの自由、悪や非道からの自由という汚辱な世界からの離脱願望と勧善懲悪だ。いわば浄土へのあこがれがあるようだ。