オードリーとアンネの話し

 女優のオードリー・ヘップバーンアンネ・フランクの意外な共通点は第二次世界大戦のオランダでナチ・ドイツに酷い目に合わされたことだろう。
 強制収容所であえない最期を遂げるアンネ・フランクは有名なので、ここではスキップする。オードリー・ヘップバーンアンネ・フランクとほとんど同年代だったがユダヤ人というわけではなく、ベルギー人だった。ちなみにアンネは1945年に15歳でなくなっている。
 
 ドイツはオードリーが住むオランダ西部を反抗性の故に報復措置をとった。食糧を含めた貿易封鎖をしたのだ。その結果、飢饉が地域民を襲った。オードリーも飢えに苦しんだ。当時彼女は16歳だ。おそらくこの思春期の不健康な状態が彼女の華奢な美を培ったというのはアイロニックな仮説だ。


 1944年11月から半年もの間に2万人が食料不足が原因で亡くなったとされる。「オランダの冬の飢饉」だ。彼女の従兄弟もナチの犠牲になったという。


 オードリーは過酷な青春期を過ごしたのだ。その結果、彼女は終生虚弱体質に苦しんだ。それもあってか、実際に63歳という若さで亡くなっている。



 オードリー・ヘップバーンが映画を変貌させたとまで言われる『ティファニーで朝食を』(1961)でその華奢な美しさをご覧いただこう。