古代人、東南アジア系の古来からの信仰には「神の入れもの」があったと推測されている。
岩田慶治によればラオ族やタイ族の祠堂はガランドウであるという。マツリの時だけでそこに神が来たり給うのだ。また、岩田は国史家の西田直二郎を引用する。
手近に神を見たことは、やがてそれは神は亦近く人と共にあり、親近の関係が生じる
近辺に仏や神を誘致して聖なる小さき場所を近所に配置した。これが農村にここかしこに今でも残る祠堂の由来であろう。
保護や安全を求めるためには神でも仏でも頼みやすい神佛を据えた。このいい加減さは親近感の別なアスペクトでもあった。
さて、入れものは折口信夫ではこういうぐっと煮詰まった直感になる。
日本の神々の話には、中には大きな神の出現する話もないではないが、其よりも小さい神の出現に就いて、説かれたものゝ方が多い。此らの神々は、大抵ものゝ中に這入つて来る。其容れ物がうつぼ舟である。ひさごのやうに、人工的につめをしたものでなく、中がうつろになつたものである。此に蓋があると考へたのは、後世の事である。書物で見られるもので、此代表的な神は、すくなひこなである。此神は、適切にたまと言ふものを思はす。即、おほくにぬしの外来魂の名が、此すくなひこなの形で示されたのだとも見られる。
此神は、かゞみの舟に乗つて来た。さゝぎの皮衣を着て来たともあり、ひとり虫の衣を着て来たともあり、鵝或は蛾の字が宛てられて居る。かゞみはぱんやの実だとも言はれるが、とにかく、中のうつろなものに乗つて来たのであらう。嘗て柳田国男先生は、彼荒い海中を乗り切つて来た神であるから、恐らく潜航艇のやうなものを想像したのだらうと言はれた。
かやうに昔の人は、他界から来て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入つてゐなければならぬと考へた。そして其容れ物に、うつぼ舟・たまご・ひさごなどを考へたのである。
近世の考えと異なり、古代人は神の姿が見分けられるまでには時の経過が必要と考えていたのだろうとする。
この「うつろ」という言葉は「映る」にも入り込んでいる。中身がない入れものに外部から何者かが差し込んでくる。光や影だけではなく情念や思考までも外部から入り込むという考え方が古代日本語の基底にあったのだろう。
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