ミラノ博で日本館が一番人気に憂慮する

 このほど閉幕したミラノ博で日本館が長蛇の列で好評だったそうな。フレンチや中華料理並みのプレゼンスを和食を持ちうるわけだ。それはそれで誇らしいような気がするのが島国根性だ。
 和食は洗練された食事様式であるし、ヘルシーで調和が取れているのは確かだろう。しかしながら、その食材に難がある。とくに魚食だ。世界中のマグロやカンパチなど魚資源をかつての日本漁船(非難が集中したものだ)のかわりに世界各国の漁船がとりあさるわけだ。しかも鮮魚でなくてはならない。冷凍保存して遠洋から輸送するわけだ。エコではないし、魚資源はやがて枯渇するだろう。

 和食にかぎらず世界各地での日本人化が進む。カメラの自撮りなどは1960年台からの日本人観光客が旅先で揶揄された、姿そのものだ。今やスマホで撮りまくるのは国籍を問わない。ウォークマン文化もSONYから世界の伝播したものだ。
 写真と音楽に関わるライフスタイル変化に日本が大きく関わっている。コジェーブの動物化したモダンが世界を支配する。
 スマホという小さな電子機器にすべてを凝縮するという「縮み志向の日本人」的感性が製品化の舞台裏にあることも付言しておく。あるいは「スモール・イズ・ビューティフル」を具現するコンパクトな部品作りということで日本の電子部品メーカーは裏方になっていると聞く。
 グローバル化というのは世界の文化を無造作に同化する過程でもあるので、当然なのだろう。
 だが、世界の日本人化というのは諸手を上げて賛同できる呈のものではないと思う。