すぐれて和的な幻想を美文で堪能したいのなら、泉鏡花に向かってみるべきであろう。
泉鏡花の幻視は古今東西を通じて、もっとも耽美なるものの一つであり、しかも「におふ」ようなほのかな風あいがページの合間に迸る。
自分が知る中では、中島敦と堀辰雄が鏡花の小説を嘆賞している。二人とも鏡花とかなり肌違いの作家であるが、その繊細な感性が鏡花世界と微妙に共鳴したといえる。
これに水上瀧太郎を加えて、泉鏡花文学の推奨文としよう。余計なことだが、この三人が三人とも鏡花ほど長生きもしていないのは不気味である。
堀辰雄は「貝の穴に河童がゐる」についてこう語る。
僕は「古東多万」第一號に載つた泉鏡花の「貝の穴に河童がゐる」と云ふ短篇を讀みながら、どうも氣味惡くなつて來てしかたがなかつた。
こんな筆にまかせて書いたやうな、奔放な、しかも古怪な感じのする作品は、あまりこれまで讀んだことがない。かう云ふ味の作品こそ到底外國文學には見られない、日本文學獨特のものであり、しかもそれさへ上田秋成の「春雨物語」を除いては他にちよつと類がないのではないかと思へる。
たしかに「貝の穴に河童がゐる」は異様な雰囲気を醸成している。「河童の恋する音や夏の月」という蕪村の秀句を悪夢にしたような掌編だ。
中島敦はこうまで言う。
日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。
そして、付け加える。
空想的なるものの中の、最も空想的なもの、浪漫的なるものの中の、最も浪漫的なもの、情緒的(勿論日本的な)ものの中で、最も情緒的なもの、――それらが相寄り相集って、ここに幽艶・怪奇を極めた鏡花世界なるものを造り出す。
あるいは水上瀧太郎もこう書き遺した。
もっとも水上は鏡花の弟子であったから割引をしておこう。
明治大正昭和を貫く我國近代文學を、くまなくあさり求めても、先生程描寫力の豐かな作家は外に無い。鴎外や漱石が、先生を第一位の小説家として推奬したのも、主として此の素晴らしい描寫力に敬服した故であらう。西洋古今の小説家中、最も逞しい描寫力を持つと極附のトルストイは、あらゆる場面、あらゆる人間を描いて、しかも心理描寫を伴ふ非凡の腕力を發揮したが、繪畫的描寫の一面丈を比べるならば、泉先生も亦彼に劣らぬ鮮かさを示された。但し、彼とこれと、西洋畫と日本畫の相違の存する事は言ふ迄もない。
日本独特の芸術作品であり、心理描写が伴う幻想世界の創造者であるのは確かなようだ。
そこの君、まずは、鏡花の『高野聖』を手にとって読みたまえ。
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