反ミリタリズム的戦史愛好の勧め

 昨日は泉鏡花を勧めたが、その作品に『海城発電』という軍人の横暴への抗議文学がある。そこに描かれた夜郎自大皇軍などという偏狭な思考が第二次世界大戦での悲惨な敗北をもたらしたのはいうまでもない。
 また、その暴力的な支配欲が南京事件での虐殺という愚行をもたらしたのもくちおしい。そうはいっても、その大将であった松井石根は気の毒な感じがある。BC級戦犯で死刑となった松井は中国に同情的であり蒋介石とも交流があった人物だ。
 彼は日中15年戦争で亡くなった日中の両国民のために伊豆は熱海に興亜観音を建立し、そこで読経一筋だったという。興亜観音は、極東軍事裁判の刑死者をいまでも慰霊していることを言い添えておこう。

 こうした悲劇の人物を生むと同時に、甘粕という女子供を虐殺するような鬼畜を生み出したのが大日本帝国陸軍なのだということを忘れてはなるまい。
 人非人の甘粕に唯一見どころがあるとすれば、その引き際だけだ。満州で映画産業なんて、甘粕を再評価しようなどというのは糞思考だ。
 関東大震災朝鮮人を虐殺し、大杉栄伊藤野枝と子供を虐殺するような輩がのさばる、それは南京事件と同じ日本の病根を有しているのである。

 第二次世界大戦に敗れた原因は様々に書き立てられているが、余儀なく戦争に引き釣りこまれていくその不運の連鎖の歴史、そして前線で愚かな戦略のもとに悲運な戦死を遂げる兵士たちの苦闘を知るのは痛憤とともに深い哀歓を覚える。

 その敗北の原因は「終結を見据えた戦略の欠如である」というのが、簡にして要を得た指摘である。
 軍部やマスメディア、軍産複合体が勝手に暴走する下克上となった結果、大所高所からの戦略判断が蔑ろにされ、その場凌ぎの意思決定が支配するようになったのが敗因なのだ。
 それは、戦わずして勝つのが上の策という孫子の教えを守らぬために起きた帰結だ。
 いい例が辻政信だ。辻参謀のような軽率な英雄気取りの猿回しが現場で専横を極めたのが現場なのだ。彼のノモンハンでの判断の卑劣さと非人間性は陸軍の宿痾そのものであった。
 そも、開戦時に大本営などは何の機能も果たしてはいなかった。時流に押し流されただけであり、戦争の収束などを見通して鳥瞰的に判断し、指示する組織などはどこにもなかったに等しい。
 兵士たちはよくやった。
 その頂く政体と軍部上層部の愚昧な指示に従って、血を流し肉をそぎ、骨をくだいたのは兵卒であった。
 第二次世界大戦後の評価。兵卒は日本兵が世界一。だが、将軍は最低。

これが自分の反ミリタリズム的な太平洋戦争史観である。

 再度強調するが、甘粕のような鬼畜と辻のような口先だけの卑劣漢が跋扈したために多くの民衆を不幸に追いやったのだ。

 大学教授朝河貫一はアメリカの地にあって日本の行く末を見通していた

日本の禍機 (講談社学術文庫)

日本の禍機 (講談社学術文庫)

 現代人、松本健一は思想史的史眼で大日本帝国の敗亡を見極めている

日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)

日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)

 こうした悲劇的な反戦的な観点だけでなく、やはり大空のサムライというのは爽快の感じをあたえる。松山の紫電改部隊など防空部隊は軍人の本分を尽くした。