記紀には出雲神話が3割含まれるとという。それほどまでに国の成り立ちに関わっていたということなのだ。
須佐能の尊と八岐大蛇や因幡の白うさぎの大国主命などが有名でありますな。
天武天皇の時代に編纂された記紀はもともと、天つ神(天皇系統)の正当性を強調する狙いがあったという。大化の改新、壬申の乱という動乱を経て国を固めるための伝統づくりの文化事業だった。
なぜ、そこに出雲系を取り込むことになったか、その動機というか理由があるはずだ。
出雲は島根や鳥取をふくむ広い範囲を指したらしい。出雲系の神社はしかも各地に多く存在する。関東では府中市の大国魂神社や埼玉の氷川神社は出雲系である。紀伊半島の熊野神社にも出雲系神群が色濃く影を落としている。
これらは大国主命の子孫を称する氏族がその周辺に移住したためらしい。
何よりも出雲系神社の存在する地域で注目なのは、丹後地方(京都府北部)である。*1
上田正昭によれば、丹後一ノ宮は出雲神社であり、その存在は京都北部において大きなものがあるという。また、彼は国津神と天つ神の住み分けはイロコイ連合体を思い起こすとしている。これは重要な示唆かもしれない。
このアメリカインディアンの連合制はアメリカ合衆国が連邦制をつくるときに参考にしたというが、天皇家もまた国津神をまとめるときに宗教的権威と政治的権威を統合し、そのイデオロギーとして神々の序列化という方式を採用したのかもしれない。つまりは記紀の神話はそのまま地方豪族の意識の反映なのかもしれない。
そして、大きな問を投げかける荒神谷遺跡だ。銅剣358本という規模の埋蔵物は何を物語るのか?
なんとなく想像するのは、宗教的な儀礼を伴う政治的な行為があったんじゃないかということ。出雲国が天皇家に服属する、その行為が出雲圏の伝統的な神器である銅矛の埋蔵になったのではないか。
天つ神に従う恭順の姿勢として、出雲系氏族たちは自らの祭儀の一部を捨て去ったのであろう。古代イロコイ連合の成立である。それは記紀編纂からそれほど年代差がない頃に発生した。荒神谷遺跡の年代測定法では、その埋蔵行為はおおよそ590年頃の出来事とされ、「国譲りの神話」が生まれるのにはおあつらえ向きの時代かもしれない 。
出雲系種族は国津神系ではかなり強大な力があったのだろう。大国主命の子孫800人なのだ。その子孫たちが関東圏にも移住しているわけだ。
実は、風土記の完本は「出雲国風土記」だけだ。それはその伝統と結束の強さが現代まで伝わっている証拠かもしれないね。
それにしても、八重垣神社の櫛名田姫神の肖像は神威があり凛々しいものだなあ。
ヤマタノオロチは氾濫する河川であり、美田のシンボルである櫛名田姫をスサノオは救うのだから、治水神とも見なせるわけだろう。
荒神谷遺跡の位置 出雲空港と富士通工場の近くなのがいい取り合わせだ。
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