児玉神社の由来

 児玉源太郎は旧帝国陸軍の大将、参謀として日露戦争で抜群の働きをした軍人である。その英姿の一部は司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも描かれている。
彼の偉業を讃える人々は日本国よりは、台湾国の方に多いとも思える。それは国立台湾博物館に児玉の銅像が展示されていることでもわかる。台湾総督としての彼の統治が住民にとって好ましいものであったか、台湾の発展の基礎を築いたという一般人の追憶があるからだろう。

 それにしても、江の島に残る児玉神社である。「台湾の有志から贈られた、口の中の玉が回る名品の狛犬が有名」とWikipediaにあるように鳥居も台湾から、神楽殿正面扁額の揮毫は李登輝による。

 杉山茂丸はその『児玉大将伝』はその由来を説明している。
Wikipediaの「明治42年(1909年)に「児玉神社」が東京都墨田区向島杉山茂丸邸内に、桂太郎佐久間左馬太寺内正毅後藤新平の発起で造営されたとの報道があるが、本神社との関連は確認できない」という記述は確認されたわけだ。

 『児玉大将伝』の序文を引用しておこう。

庵主は、もともと児玉大将に、伝記を書いてくれと、頼まれなかった。また神に祭ってくれとも、頼まれなかった。庵主が勝手になした仕事である。世人が何と思う思わぬを、考える隙のないはど、忘れたことはなかった。その後向島の別荘が、数度の洪水のために破壊されたから、児玉神社を、相州の江の島に移転して、二千坪の敷地に玄機庵という庵室をこしらえて置いたら、思わぬ借金のために、取り揚げられてしもうた。

 かの神社は江の島の中央に、人知れず鎮座している。ここで、台湾統治や日露戦争という難行を乗り越えた明治人の覇気というものを考えてみよう。


児玉大将伝 (中公文庫)

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坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)

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