昭和後期の最大の戯曲家であった寺山修司は辺境やタブー、それに閉鎖的な社会などに興味を持っていたらしく、その短い生涯に「僻地」への一人旅をいくたびか試みている。
その風変わりな紀行文集は『花嫁化鳥』として残されてている。その最初の章が「風葬大神島」だ。
彼が訪問した60年代には、風葬は残されてはいなかった。それでも民俗学者の川村只雄がタブーを破ったことで不審死を遂げて、それほど時間を経てはいない時期だった。
彼は歓迎されざる客であることを到着と同時に知る。
私の舟が島の突端に着いたとき、岩窟の上に見える古びた一軒家の雨戸が、ほんの少しだけひらき、そこから誰かがこっちをじっと見ているのがわかった。やがて雨戸が閉まり、自髪の婆さんがとても信じられないような素軽さで、身をひるがえして岩がちの細い道を馳けのぼっていった。
まだ、寺山の旅した頃には小学生らがいた。だが、近親婚のせいで知恵おくれの子が多いと書いている。現在の大神島には小学校も中学校もすでに無く、廃校どころか取り壊しされているという。
Wikipediaによれば、2017年時点で人口30人なのだそうだ。
寺山は分教場に野宿しながら、島を流離う。自らの幻想を思いいたわるように狭い土地を移動し、禁断の民俗の跡を追い求めるが、それはせいぜい、片目の漁師や無言の女児とのふつつかな交流で閉じられてしまったようだ。
平成も後期になってようやく物見高いレポートライターが、この島の聖地潜入ルポを書くようになる。『ニッポン「神々の島」異聞』がそれだ。「ウプミーャガマ」という大神御嶽に入り込んだ体験記事を書いている。
そのライターが取材した民俗研究家の話は真偽は不明だが、川村只雄の消息を語らせようとしたライターの苦心の結果だろう。
沖縄の八重山諸島に伝わる秘祭・アカマタクロマタでした。彼はそこに潜入し、撮ってはいけない写真を撮ってしまった。逃げ帰った彼に刺客が送られ、彼は腕を反対側にへし折られてしまった。彼はその後の人生も研究者魂も無力化されてしまったんです。私らの間では八重山系診の刺客と呼んでいます。大神島に関わる宮古系というのもある。こちらの刺客は、腕を折るような見せしめじゃ済まない。病気や行方不明、事故に見せかけてとかで、上手に抹殺する
ありそうでなさ気な伝聞である。少なくとも現在の高齢化した30人の大神島島民には其のような力はあるかどうか。だからこそ、宝島社のライターは潜入できたというべきか。
聖地の一部の写真を『封印された日本の離島』から複写しておく。
その昔、大神島は宮古諸島でも特別の島、聖地であったという。とりわけ祖神祭は門外不出、島外関係者には一切取材や研究を許さない厳正な祝祭であった。巨石がその聖地にあり、島のふもとに拝所があり、また、おぷゆう食堂という民宿兼用の料理屋もできている。
最近のパワースポットとスキューバの流行で、この離島へ気軽に遊びに行く客も増えているという。
【参考文献】
- 作者: 寺山修司
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