大石凝真素美(おおいしごりますみ)の水茎文字

 きわめてキテレツだが純和風の名前の持ち主は神道思想家の一人であり、明治期を駆け抜けた反近代の神秘主義者であった。一般人には出口王仁三郎の師の一人として記憶されているようだ。
 本名を望月大輔という。いかにも甲賀郡出身者的な名である。1832年生まれ、1919年没。



 この人、自分には滋賀県地域おこしの先達に思える。 
 何故かと言うと人類琵琶湖発生説や水茎文字の発見など近江人らしい発想とローカル趣味があるからだ。いずれにせよ、その発想の源は言霊信仰にあったようだ。
 その言霊思想を簡潔に記す。
 清音五十、濁音二十、半濁音五の計七十五音の直音音階表「言霊真澄鏡」として整備し、音の球面表示としての「言球(コトタマ)」を啓示し、十八稜十四面体七十五声曼荼羅コスモロジーを説いた。こういうタイプのテーブルはメンデレーエフの周期律表と相通じるものがある。
 その数理的神秘主義ネオプラトニズムに通じるという評価をしている人は、自分くらいのものだろう。

 でもって、その直情性に感化された自分は「水茎文字」探索の旅を企てたこともある。
では、水茎文字の現場とはどこか?
曰く、琵琶湖の水茎の岡である。
 沖之島の南西対岸である。沖之島はご存じのように湖中の有人島として、日本唯一の離島だ。
古今集の歌「水茎の岡の館に妹と吾と寝て朝けの霜の降りはも」の地であるとされる。
 この岡より湖面を見やれば、「言霊真澄鏡」の清音五十、濁音二十、半濁音五の計七十五音が現れるという。

 大石凝翁の筆によれば、こうなるのだ。

 その所は蒲生郡八幡町より一里ばかり西に、岡山村という所あり、岡山村字大牧に水茎の岡山というのがある。この岡山の北部はすなわち湖水の渚である。この山は高さ五十尺ばかりの小山なり。この山に登りてみれば北方に沖之島がある。この沖之島と岡山との間の湾は一里方角ほどに見ゆる。西方遥かに比良嶽がそびえておる。海は霞みておる。この一里方角に見ゆる湾内は鏡浦というべき景色である。
岡山に登りて鏡浦を見れば、晴和の日なれば時々刻々に文字を描いておる

 う〜ん、真偽は問わず奇天烈である。未開人でも水面に文字を読取る民族は数少なかろう。ということで琵琶湖に旅立ったのだ。

 その聖なる場所を示しておこう。沖之島よりだいぶ西にずれているけど、近所に史蹟もあるので間違いはない。


【参考文献】

 もはや活動停止した八幡書店の全集を入手するのは難しいだろう。自分も本屋で見かけもしない。
友人より貸与された全集をパラパラめくったのみである。

大石凝霊学全集 全3巻

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 その点では、この本は貴重で手頃なガイドだ。

神道思想史研究

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 水茎文字は神代文字の一種と考えることもできる。歴史はないけれどね。

神代文字はこうして余剰次元をひらく  ミスマルノタマ 治癒の球体オーブ発現の瞬間へ

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