信濃巫女は近世まで漂泊の歴史を続けていた。
長野県の祢津祢津東町に明治維新期には40軒ほどの巫女(ミコ)の親方の家があったという。ここは柳田国男や中山太郎が注目している。
柳田国男は『伝説』でこう書き留めている。
さうして信濃巫の故郷はその小縣郡の祢津といふ村のうちだつたのである。そこには旅をして居た女たちの家はまだあつて、その職だけはもう残らず罷めて居る。
足では生計が立たぬといふのが一つの理由、第二には他にも似合ひの仕事が幾らも出来たからで、是は恐らく他の地方も、叉昔の世にも共通な理由だつたらうと思ふ
もちろん、今はその面影すらもないのであるけれど、地元に何らかの痕跡があってもいいのでないだろうか?
下の地図を見よう。まず、「西宮」なる地名が目を引く。
白山神社や祢津健事神社なども由来がありそうだ。御姫尊という寺は名前がミステリアスだ。
そうそう、このブログがリアルな訪問記である。
【参考資料】
巫女史=腐女子に重なってくるのは意外にも真実の一面かもしれません。
なりそこねの巫女たちが腐女子なのかもしれません。
それはさておき、この書は調べ魔、異端的民俗学者の中山太郎の面目躍如です。
- 作者: 中山太郎
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