自炊 10101冊の道

 先頃、自炊した本=裁断かつデジタル化した書籍数が10101冊を突破した。

 もし、自炊せねば本の山に埋もれていたはずのマイ・スペースは、生存空間を保ちつつ21世紀初頭の日本で暮らしてゆくことができている。
 自分の自炊の定義は、書籍を実体と本質を分離し、実在はリサイクルに、本質はハードディスクに送り込む(つもり)行為である。
 それを一万回以上繰り返した。
 こうして多数の分離工作を実施してみて、経験的に見えてきたことがある。
 自炊道の三原則としておこう。不束者の読書道でもある。

 その1 読まない本は自炊せよ。
裁断してもしなくても読まないのである。そのうち役に立つ瀬もあるから、読めないor読みたくないor読む気にならない書籍は裁断に回せなのだ。しかし、何らかの機縁があるから自分の手元にあるのだ。そこは捨てたりう売ったり譲ったりする前に、自炊に供するのが、道というものだ。


 その2  本は読んでから自炊するかどうか決めよ。
 1万百1冊の半数以上の本は読む前に自炊の祭壇=裁断に捧げた。
 ところがぎっちょん、ギロチンで、記憶に残らない。蔵書性が薄れる。蔵書性とは自分の所有かどうかが希薄化する。その結果、二度買いが発生するのだ。


 その3  読んで感動した本は自炊するな。
 手元においておく、それは良書の生きる道であると思う。適者生存なのだ。読んで良かった本はしばし座右の書として実在を継続させるのがオススメである。自炊するのは、古びて黄ばんでからでもいいのだ。


 今、書籍はそれほど増えもせず減りもせず、停滞空間となっている。デジタル化書籍はむろん場所を占めない。だが、本の背表紙が見えていないと去りにし日々の光となって記憶から剥離してしまう。それ故、デジタル化本のタイトルは週に4,5回は眺めることにしている。
 ボルヘス君がいってたように本のタイトルはイリュージョンを呼び覚ます。そのイリュージョンは読んだ記憶の再生でもある。

七つの夜 (岩波文庫)

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