徳川義親 なかなかな華族

 この御仁は尾張徳川家の第十六代当主。「虎狩りの殿様」で庶民にも人気があった。それ故、理髪師団体の名誉職にも就いている。
 東京帝国大学では林政史を研究し、「徳川生物学研究所」を設立し、石川三四郎と交流があったし、日ソ交流協会会長も務めた。
 瞠目すべきなのは、1925年の治安維持法のただ一人貴族院議員として反対票を投じていることだ。
 さすが、名君の松平春嶽公の血を引くだけのことはある。

 日本の華族にもこんな傑物がいたのでありますな。


伝統工芸の創生―北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親

伝統工芸の創生―北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親

最後の殿様―徳川義親自伝 (1973年)

最後の殿様―徳川義親自伝 (1973年)