内藤湖南の直弟子

 戦前の京都大学の中国史は、世界で有数のものだった。そのドライビング・フォースは、なんといっても内藤湖南だろう。
 それをつい最近まで引き継ぎつつ、独自のアジア史観を樹立したのは宮崎市定だ。

 今週は、その価値を再認識した。
宮崎市定の『中国史』を読むことで、彼の歴史モデルがトインビークラスの規模を有しながら、その専門性と深さを保つ点でトインビーを凌駕しているのは、理解できた。
 何が優れているか?
専門性は『アジア史概説』や『科挙』『雍正帝』などで十分にわかっていた。しかし、その広範かつ高い学識は、鳥瞰的な歴史モデルというべきものに凝縮されていることまでは素人たる自分には、不可知・不可測であった。

 『中国史』上巻を読めば、それは理解できる。欧米と最近世(現代)を相対化している。歴史的相対化である。欧米主導による近代化は「永遠の相の下」での局面でしかない。それは古代・中世・近世という時代区分の一つでしかない。この手垢にまみれた時代区分は宮崎市定モデルでは、別な様相を持つ。
 歴史の展開はある文化的な波動をもって大陸間を往来しており、諸文明はそれらの交流により、古代を脱し、中世で部分的な後退を閲し、近世はルネサンスで明ける。それらの転移はどの地域においてもほぼ同様な文化・経済・政治の変容を経過していると宮崎は指摘する。
 つまり、西洋史学での西洋の発展史観を巧妙に活用しながら、中東や中央アジア、中国、日本などでも汎用化できることを宮崎市定は示したといえるだろう。
 重要な観点の提起ではなかろうか?
 この歴史モデルはどのように援用できるか? それが我らに課せられた問題である。

宮崎市定全集〈1〉中国史

宮崎市定全集〈1〉中国史