李朝批判を開始すべし

 日韓関係が熱くなっている。
そこで、歴史を振り返るのもちょっとはクールダウンに役立つであろう。

まず、こちらのブログをお読みいただきたい。
当時を知る韓国人(88歳)が殺されるのを覚悟で真実を語る
歴史を知る 韓国人の老教授が書いたものだ。

 自分は、朝鮮における日帝支配を賛美する心持ちはまったくない。あれは、文化的には失敗した「植民地支配」プロジェクトだったと思う。
 たとえ、朝鮮人に門戸開放されたご当地大学(京城帝国大学)を含む義務教育を持ち込み、人びとの栄養状態と衛生状態を改善し、ダムなどの上水道や電力の基盤を構築して、鉱業や商工業を興したとしても、だ。徹底的に蔑み搾取する欧米の植民地政策とは逆に、同朋として「日本人化」政策をとったのは、朝鮮人のプライドには到底許されるようなことではなかった。
 そんなことは言わずと知れた事だとしておく。
 上記、ブログでわれら日本人が知っておくべきことは、李氏朝鮮」がいかなる支配形態だったかということだ。

 何と言っても「日帝」は朝鮮人のメンツを潰した、誠に浅薄で愚かな支配だった。それに対して、李朝は人民の生活そのものを潰していた。これは、他の歴史書からも裏付けられる事実じゃないかと思う。

 つまり、上記ブログの李朝の評価は正しいと思う。それ故に「日帝」敗退後も、李朝の子孫(子孫は存続している)は地位挽回どころか、韓国のいかなる名誉職にもつけなかった。
 朝鮮の人民は最低限の生活に閉じ込められていた。江戸時代の士農工商と比較すれば、農工商である人民には、ひとしなみに貧困と蒙昧しか存在しなかったとみてもよいだろう。朝鮮農民には二宮金次郎はありえなかった。

 李朝では商業は停滞し、職人は蔑まれていた。ヤンパンのみが極盛を誇り、儒教を至高のイデオロギーとした偏狭な国家だった。それ以外の価値はなく、周辺国は野卑の国と軽蔑していたのだ。将軍の国、日本も格下に見られていた。当時、釜山におかれた日本人のための館は「倭館」と命名された。朝鮮通信使という名の交流をしている江戸幕府に見下した言葉をつけて、信を通じる国に対してこんな名をつけても平気でいたのだ。
 蘭学とか実学なんてのは、ほとんどありえなかった。品種改良された農作物がこの時代の朝鮮から生まれたろうか?
 日本は品種改良を農民たちが地道にやっていたのに。
 実学系譜はほそぼそとあったにせよ、隠れキリシタンのようなものだ。ついでながら圧迫された仏教も息を潜めていた。せっかくの精神的な遺産も形骸化した。

 こうした李朝批判は、日本でもっともっと声高に叫んだほうがいい。その支配下で人民がどれほど無知蒙昧と最低限の状態に押し込められていたかを、江戸時代の日本人と客観的に比較されたい!
 そもそも、李成桂がどのように国を簒奪したか、その人気のなさは後代にも尾を引いた。確かに世宗いでて、ハングルを残した。この王だけが英主でそれ以外は凡庸だったのだ。
 朱子学イデオロギー一色の李朝はどうみてもまともではなく、国家パラノイア状態だったのではないか。人民は塗炭の苦しみをなめていたし、読み書きソロバンを身に着けていた江戸時代の商人や農民のような層と比較できる社会階層は絶無と思える。
 文盲で貧困にあえぐ人民ばかりでは、歌舞伎芝居も浮世絵も生まれようがない、そんな底辺にあぐらをかく朱子学官僚の国家として李朝時代はあったのだ。これでは開国も開明も自主的に進めようがない。
 明治期当初の日本人は、李氏朝鮮にも日本同様の自発的な維新と開国と、西洋列強に対抗するために近代化を促進するように手助けをした。福沢諭吉もそうだった。ところが、そうはならなかった。

 来日して感化された改革派の若手朝鮮人たち有志は、帰国後改革に着手しようとした。待っていたのは裏切り者の汚名と一族誅殺だったのだ。  甲午改革とその反動だ。それは『李朝滅亡』に客観的述べられている。日本が欧米の手先にしか見えなくなり、その同類は国賊だったのだ。日本が鬼畜西洋の手先に見えたのは半分は真実なのが状況を複雑にしているのだが。自主改革の道はあったし、近代化以外にはその選択肢はなかったのだ。
 恐るべし!朱子学イデオロギー
 それが現在の南北朝鮮の精神的な血脈に残っていないと誰がいえよう?


 王朝の滅亡は痛ましいが、それなりの歴史的必然があった。自国の改革派を粛清したのはやるせない。

李朝滅亡 (新潮文庫)

李朝滅亡 (新潮文庫)

 同時代のイザベラ・バード日本紀行と朝鮮紀行を比較できる。両者とも人民は衛生状態に問題があるのが共通だ。日本人庶民には明るさとか清楚さがある。

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

 このベストセラーで江戸期の人民が西洋人の眼にどう映ったか。生活にほぼ満ち足りて好奇心にあふれて、しかも親切な庶民の姿だ。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

 司馬遼太郎は親-朝鮮文化的立場にあったが、犀利な李朝批判を「街道をゆく」で行った。済州島は党争に敗れた知識亡命人の流され先だった。朱子学イデオロギーがどのように国ごと非現実な存在にしたかを指摘している。

街道をゆく〈28〉耽羅紀行 (朝日文庫)

街道をゆく〈28〉耽羅紀行 (朝日文庫)