空想科学哲学小説はなぜ生まれないか?

 もう随分と長らくSF小説には刺激を受けてきた。精神的賦活剤としての服用歴は学歴よりも長い。今のかみさんとよりも長い付き合いだ。

 ひょんなことから気になったのが、空想科学哲学小説がないことだ。

異星人SF、時間SF、(平行)宇宙もの、戦争SF、カーSF、SFミステリー、終末もの、ユーモアSF、スペースオペラジェンダーSFやロマンティックSF、ホラー系SF、言語SF、ロボットものや最近ではAI SFも独立した分野になりつつある。

 所を変え品を変え様々なタイプの発想と空想が入り乱れている。

ではあるが、科学基礎論をネタにしたサイエンスフィクションはジャンルとして存在しないではないか。つまり、「空想科学哲学」分野がないようなのだ。

 科学哲学に範をとった空想的ストーリーがないのではないか。科学と密接にかかわる科学哲学がSFにジャンルを確立していないのは問題ではないか?

 お前の言う「空想科学哲学」とは何か? レムがものしていたような哲学的SFではないのか?

 いやいや、ちょっと違います。

例をあげてみよう。

 理論負荷性増幅器を発明した狂気のフライング博士のハンソン教授が20世紀の人類の精神構造を間違ってゆがめてしまい。暗黒時代の中世ヨーロッパに逆行させてしまった物語とか。

 万物統一理論を実装した人工知能がポパリアンのテロにより、自分が非科学的であると信じ込んでしまった挙句の果てに、マルクス主義の狂信者になってしまうとか。

  ヘンペルのパラドックスなど帰納法が成立しない激動生態系の文明とのファーストコンタクトがどうにもしようがないすれ違いに終わるショートストーリーとかね。

 うーん、どれもこれも冴えないシナリオであはあるけれど、でも誰か才能がある人なら自然科学を相対化してしまうビックな物語を生み出せるのではないか?