万人が万人にとって狼な核武装戦略論

 核保有論は核武装しないと自国が守れないと主張する。正確には自国のプライドと縄張りが保てないという銃社会の論理だ。一部アメリカ人の銃器保有主義と同程度な核武装戦略の前提。つまりは敵側は弱みを見せると攻撃し侵略するのが当然であるとする立場だろう。

 言い換えると核による核戦争の抑止だ。なんだか、手を出したらお互い破滅だという自虐的な思考によるもので、理性的なものとは言い難いように思う。

 そう、ある意味、これまでの核抑止論相互確証破壊 - Wikipediaを基礎にしていた。

 MAD(Mutual Assured Destruction)とはよく命名したものだが、ひとたびパンドラの箱をあけたからには、狂気の沙汰も国際政治では有効な手段なのだろう。ノイマンゲーム理論の帰結なのかもしれない。RAND研究所の俊英たちが作り上げた理論に乗っかっているように思える。

 アメリカの銃社会はこのMADとそっくりなのではないか。少なくとも銃社会を肯定する人びとはMAD論者であるようみえてくる。

 ロシアにはMADを遂行するためのシステムが稼働している。Dead Hand(死者の手)」と呼ばれるそれは、1984年から運用されている。

 

en.wikipedia.org

 中国も今回の核弾頭整備の充実ぶりから、2020年代には同程度のシステムを稼働開始すると考えられているそうだ。

  アメリカに加えて、中ロもそうしたシステム運用しているのは、考えものだ。そのような高度なシステムは誤作動がつきものだし、ヒューマンファクタによる誤判断もつきまとうからだ。

  MADの前提は二国間の戦略的な交渉であった。ここに中国という強国が登場し、MADに参入するとどうなるだろうか?

 MADの安定性は両すくみでの膠着状態という危うい現実が保証していた。これが三者になると不安定化するのではないだろうか。

核ミサイルのビッグプレイヤが増えるのは呆れるほど危ういのだ。こんな火薬庫での火遊びを卒業できないというのは、人類の叡智などはその程度のレベルだということだろう。

 そして、ある朝、目覚めるとその日が人類最後の日というのも単なる悪夢ではないのだ。

 

 

ランド研究所ではMAD以降の核戦略論を唱えた。

英語版Wikiにはこうある。

「相互保証破壊」という用語は、一般的に「MAD」と略され、1962年にハーマンカーンのハドソン研究所で働く戦略家ドナルド・ブレナンによって造られました。