数学の学徒たちを動員したオペレーションリサーチを当時の日本でも組織していた。「内閣戦力計算室」だ。
ある日、内閣戦力計算室に東条が登場する。
その日、帝国の大勝, やや有利で勝利, 半々で引分け, やや不利で敗北, 惨敗の場合を想定したレオンチェフの表を廊下まで貼っていた。東條は橋本に「今の日本はどの表に該当するか」と質問した。
橋本は躊躇せず惨敗想定表を指し、現在の日本はこの表の通りと回答した。激怒した東条は計算室を即日閉鎖し、橋本室長を仙台に左遷した.
詳細はこちらのブログをお読みいただきたい。
一般には東条英機の無知と非合理を示す逸話と理解するのが普通だ。しかし、かみそり東条はそう単純ではなかっただろうという説もある。当たり前の結果など内閣戦力計算に求めていない。
数理的頭脳があるなら、勝つための計算と方策を示せという解釈だ。
無理を承知で超大国アメリカの立ち向かう。そう考えるとA級戦犯の東条英機も悲劇の宰相に思えてくる。
まあ、たしかに、憲兵などを駆使して弱い者いじめをしたのは「小者」感がある。
尾崎行雄や中野正剛、松前重義などへの圧力などは許されがたいものがある。自殺未遂もみっともない。東京裁判でゲッペルスのように俺は悪くないと見栄を張れるほどの自信も力量もなかった。
どちらかというと大嫌いなタイプだ。彼一人が太平洋戦争に日本を引きずり込んだのではないのは自明の事実だ。余談だけれど、戦前の官僚で最低なのは平沼毅一郎だけど。
国民やマスメディアの大勢は反米であり、開戦賛成だった。好戦的国民に育てあげたのは国家の責任かもしれないが、権力も国民も同罪だったように思える。
東条の天皇への忠誠は本物だったろうし、傲慢無礼な白人の強権に抗ったのは、よく言えば石田三成的だったといえなくもない。
つまり、ひいき目に表現すれば、ドン・キホーテだった。あるいは当時の日本がドン・キホーテ的だったのだ。
ある意味、日本人固有な悲劇的な国民性であり、その代表的人格であり、そして宰相だったのがたまたま東条だったのかもしれない。
追加 2021年に話題となった秋丸機関の報告書が上記の推測を裏付けている。
1939年に当時の経済界や調査機関のとりまとめとしての「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」は対米開戦2年目以降での日本の兵站的な不利を明言し、同盟国ドイツの弱体化の予兆を指摘していた。
陸軍首脳はこの報告書の内容は知っていたはずなのだそうだ。