この両者は帝国日本の特高などと隔絶した規模で、
彼らこそは、有名虚実のスローガンであるはずの鬼畜米英がほんとうであったことを計らずも証明したのだ。鬼畜米英の象徴といってもいいだろう。
銃後の民間人を狙いうちして焼き殺す、それを戦略と称して国家として実行したのだ。太平洋戦争器の都市爆撃の主導者にして推進者である。
彼らの戦略の延長として、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下はなんら躊躇なく実施された。
戦闘行為には無縁の一般市民をひとまとめに虐殺する、その責任者の肖像を掲げておこう。
そういえば~、もともとアメリカの成り立ちには先住民のだまし討ちがつきまとっていた。アメリカインディアンやハワイの先住民たちだ。一方的に無法の民、化外の民と分類されて権利を奪うやり方は、フロンティア精神の一部だったという見方もできる。
日本本土空襲についてのルメイの働きについて、エリック・シュローサーはこう概括する。
ルメイは爆弾の材料ー高温を発生させるマグネシゥムや広範な飛散を引き起こすナパームーの選定から、火災旋風を巻き起こす爆撃。ハターンの選択まで、計画立案の隅々にまで関わった。焼夷弾攻撃を加えて、日本人を戦意喪失させることができれば、アメリカは本土侵攻をせずにすむと考えたのだ。戦争をすみやかに終結させて、アメリカ人の命を救うことができる。
このロジックはいまでも使われている。
貴重なアメリカ軍人の血は流してはならない。正義の戦争で、丸腰の市民の血はいくらでも流せ。
アメリカの軍事戦略はそのエートスで20世紀を貫き通す。性懲りもないことに、ベトナム戦争の北爆もルメイの脚本・演出である。
さらに、呆れ返るのは、日本がこの血も涙もない軍人に勲一等旭日大綬章を授与していることだろう。
ルメイはSAC:戦略空軍(StrategicAirCommand)を創設し、SACは1990年まで存続した。しかし、晩期は空軍の意義変更を理解できずいた。核ミサイルの登場で空軍は核戦略では二番手に格下げにされたのだ。
後任者のトマス。パワー大将もルメイを小粒しただけの頭の硬い軍人だった。MAD(相互破壊確証)の信奉者でもあった。1970年に早い死去は人類にとっては幸いだったと言えよう。
Wikiにはこうある。 第二次世界大戦でのアメリカの民間人の死者は50人以下だった。