アウトサイダー・アート系の歴史と書誌

 アウトサイダー・アートの「美」は芸術の本流から外れた非正統的な造形美である。芸術的手法や統制、方法やクンストとしての教育に束縛されていないがゆえに、奔放で根源的で無意識の世界に近いアナーキーさが魅力でもあり、そこに反発を感じることもある。

 始まりは20世紀のドイツの精神病理学にある。精神科医プリンツホルンが1922年に自分の周囲の患者たちの手製「芸術」に開眼したのだ。日本の医師式場隆三郎がおなじようなテーマに注目するのは『二笑亭綺譚』であり1939年だ。後に、山下清ゴッホの研究で有名になる。
 近代芸術のなかでも見直しが始まる。アール・ブリュット(Art Brut)をジャン・デュビュッフェ(フランス人画家としての方が有名だ)が1945年に提唱する。プリンツホルンの著書がキッカケとされている。
 日本ではどうだったか。
 澁澤龍彦種村季弘などの文学系の異端異物趣味、幻想芸術評論の坂崎乙郎も「狂女セラフィーヌ」を紹介している。
 一方で、変な造形の建築に注目する人たちもいた。「トマソン」の赤瀬川原平藤森照信などの人々などがそうだ。都築響一も遅れて『珍日本紀行』で参入したといえよう。しかしながら、建築系はこれまた別の一大分岐となってゆくのだ。
 また、アスペルガー系の精密リアリズム美術というのも1990年代に注目されるようになる。つまり、サヴァン症候群の人たちの天才的能力である。1993年の暮に出た芸術新潮の特集「現代美術をぶっ飛ばす! 病める天才たち」がその源流あたりにいる。


 芸術系の近年の動きをみよう。
 2000年に『アウトサイダー・アート』が求龍堂から出版されたのが日本の「アウトサイダー・アート元年」といえる。この本はジャン・デュビュッフェアール・ブリュットローザンヌコレクションを紹介している。
 2003年に服部正の『アウトサイダー・アート』が出る。この本で知名度は高まりはする。
 2005年に「芸術新潮」で「アウトサイダー・アート」の特集が組まれる。また、美術手帖の『アウトサイダー・アートの愛し方』は2009年だ。つまり、散発的な紹介が続いたわけである。
 ポツリポツリとその流行は続いているのだろう。
 2011年に翻訳されたマクラガンの『アウトサイダー・アート 芸術のはじまる場所』で、ようやく客観的で歴史的かつ総合的な位置づけがなされる。
プリンツホルンの訳本は2014年にようやく紹介された。2015年にも美術評論家、椹木 野衣の『アウトサイダー・アート入門』が新書で出版されている。


 やはり好みが偏向しているのでポピュラーになりかねるという事情なのだろう。プリミティブで原型的な作品というよりは病的な傾向が鼻につくこともある。
 幅ひろく奥行きがあるアウトサイダー・アートのなかで、自分としては空間を稠密な文様で埋め尽くす「真空への恐怖」型が好みである。



【書誌カタログ】

精神病者はなにを創造したのか: アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点

精神病者はなにを創造したのか: アウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点

アウトサイダー・アート (光文社新書)

アウトサイダー・アート (光文社新書)

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なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異

なぜかれらは天才的能力を示すのか―サヴァン症候群の驚異

芸術新潮 2005年 11月号

芸術新潮 2005年 11月号

美術手帖 2009年 07月号 [雑誌]

美術手帖 2009年 07月号 [雑誌]

 アメリカ帝国でメジャーになった草間彌生アウトサイダー・アート作家とカウントしておく。その強迫観念的ビジョンが証明である。

無限の網―草間彌生自伝 (新潮文庫)

無限の網―草間彌生自伝 (新潮文庫)


 理屈と実例を愉しむのが好きな人にはデイヴィド・マクラガンの著書が推奨される。文明の境界に押しやられてしまった人々が多いし、先進国でこそそれが鮮明な社会的事象になっているのであろう。
逆説的なことに、余裕がない社会ではアール・ブリュットは見出されことはない。

アウトサイダー・アート 芸術のはじまる場所

アウトサイダー・アート 芸術のはじまる場所



 プリンツホルンのドイツ語の原書はここにて扱っている。
【プリンツホルン 『精神病者のアート』(ドイツ語)】
DLmarketで購入
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BBCのドキュメンタリー】
 ヨーロッパのアウトサイダー・アートの紹介


【日本のボーダレス・アートミュージアム NO-MAの地理的場所】

【日本の創始者の地理的場所】
 市川市で今も存続している式場隆三郎記念クリニックのファサード