山下清の日記を読む

 海外のアール・ブリュット作家はよく知らなけれど、山下清のように克明な日記をつけたアーティストは少ないだろう。『裸の大将放浪記』として国民的人気を呼んだのも珍しい。テレビドラマ化されてもいる。
 句読点なしで漢字も少ない、その文章は単純ながら味わいがある。

こん学校わ 毎日々々来るたんぺに学校の平分ついて来て 僕の事をいちめました 僕と
源治わ おんなし学校でした たつぞうも学校をあがりました 一二人で家で毎日々々べんきゃ
うをしました こんどはこどもの出来ない仕事でした


 千葉県市川市の八幡学園(おそらく地元の八幡神社にちなんだネーミングだろう)の生徒であった山下清はその画才を式場隆三郎らに見いだされる。
 可笑しいのはその放浪癖だ。地方都市を気ままに歩き回り、気が向くと学園に戻ります作品を生み出す。記憶だけに基づいて精密なちぎり紙細工を作成するのだ。これはイディオ・サヴァンの典型である。
 日本はこのような放浪癖のある芸術家を幾人も生み出した。自分が思い浮かべるのは、円空上人や木喰上人である。山下清は宗教とは無縁な戦争の20世紀に生きたがゆえに、写実的な作風を身に着けた。
 あるいは、仏や神とふれ合う精神風土に山下清が生まれ暮らしたなら、円空仏や木喰仏のようなものを各地に大量に残したかもしれない。円空などの放浪の芸術家たちは鹿児島から青森までに足跡を残したけれど、山下清もそれに重なる放浪ルートをとった。


裸の大将放浪記 (1979年)

裸の大将放浪記 (1979年)