『平家物語』での一挿話が記憶にある。平安時代の末期、京の貴族から武士に権力が移行してゆく時代である。
巻一にある延暦寺と興福寺の僧兵が争ったおりの勝どきの歌。
うれしや水、鳴るは滝の水、日は照とも絶えずとうたへ
と観音房と勢至房が囃す。
これだけの話だが、この歌詞が妙に惹きつけるものがあるのだ。そのどこが魅するのかと問いかける。
驚くべきことは暴力沙汰に勝利して歌うのが自然の清流のことであることだ。僧兵のような無頼の徒が歌う歌詞として、なんとも不思議な内容である。
それは滝の流れの豊かなること、陽の光のなかに流れがいつまでもいつまでも迸る、その喜びを、あたかも滝になりかわったかのように歌う。それが、いかにも好ましい。微笑ましくも清々しいのだ。
現代で言うなれば、抗争の後に暴力団員がキーツの詩を歌うようなものか。
日本の中世の人びとの口をついて出る詩情というのは、どれだけ国土に根づいた情緒であったかを後世に伝えている。
ひるがえって我が身を考えると、歌というものがどれだけ人間中心主義に成り果てて、自然とは隔たりをもったものと変貌しているのがわかる。
同じ時期に成立した『梁塵秘抄』の雑404にも同じような歌がある。今様にも同じ自然との交流が生きている。『梁塵秘抄』は遊女や芸能民の歌謡の精神世界を今に伝える。その叙情から中世人の心持ちのはばの広さというものが仄見える。
動植物への共感や山野草との交情、神仏と後生への思いなど、いずれも現代人が喪失したパースペクティブだ。
中世人の精神世界に軽やかに触れるだけしかできない自分ではあるが、その懸絶と喪失感は何とか記録しておきたいものだ。
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