和泉式部の足袋

 王朝期の恋多き悩める美女、和泉式部には多くの民間伝承が仮託されている。柳田翁が「桃太郎の誕生」に収めた「和泉式部の足袋」はなんとも不思議な縁を足袋と和泉式部のあいだに取り持つ伝承だ。
 和泉式部は鹿の子どもであって、その足は二つのヒヅメに割れていたのを隠すために足袋を履いていたというものだ。

 ただ足の指のみが二つにわかれて人間のようでなかったが、読み書きにすぐれ、歌に巧みであったゆえに、六歳にしてその名都に聞こえ、はるばる召し出されて後に和泉式部となった。和泉式部はその足のゆびを隠すために、常に足袋というものをはいいたそうで

 小野小町と並んで和泉式部の墓は全国にあるというが、こうした和泉式部の口承を語る女性たちがいた事は確からしい。足袋を履いた王朝歌人というのはちょっと可笑しみがあるが、彦市ばなしのような機縁で女語り部のカラカイの念が残留したのであろうか?