マンホールの蓋の意匠

 石井英俊氏の『マンホール』を読んでいる。通読するというよりはパラパラと気ままな流し読みをしている。
 全国市町村はどれほど手間ひまかけかけてマンホールの蓋に地域の伝統を埋め込んだかがわかる。しかし、なぜこうまでして踏み絵にもなり兼ねない鉄の円板の文様にアイデンティティを表現しようとするのだろうか?
 歴史的建造物、祭りと郷土芸能、伝統工芸や地場産業、特産品や花鳥風月などがそのテーマになっているのだが、コンテンツからマンホールデザインの謎(海外ではほとんど無いそうだ)は解けないだろう。

 家紋と古鏡から読みとくしか無いと自分は信じている。家紋のデザインがどれほど円に中に自分を閉じ込めているか、これは由々しき問題だと考える。武具の飾りである西洋の家紋と異なる様式志向が根底にあるのだ。「円」に境界を限定させることでやすらいで安定する思考がある。
 円は日月の象徴でもあり、世界の見え方の端的な姿でもある。鏡は円形でなければならないとする古い伝統がそこに見え隠れしている。
 なぜなら、そこに映し出されるのは世界の縮図であるべきだからだ。だからこそ、円形という閉じた境界において自由な表現ができると感じるのだろう。
 マンホールの蓋はそうした世界が映しだされるべき「鏡」なのだということだ。