大正の三奇人にして異才の代表格である南方熊楠翁の宗教観はなかなか錯綜している。あの世は信ぜぬが曼荼羅を説く、ジャイナ教を論じ大日如来を論じ、そして粘菌を論じるが、とくていの信仰には肩入れしていない。
ことさらに不思議なのは神社との関係だ。
神道はどう考えていたかというと「神社合祀に関する意見」などで小さな神社とその森を守るために一身を賭したにもかかわらず、神々を信じたる風でもない。
そうはいっても、神社との親近感というか一体感を何度も表明しているのは事実だ。
この文章にその評価は凝縮しているのであるまいか。
神道は宗教に違いなきも、言論理窟で人を説き伏せる教えにあらず。
本居宣長などは、仁義忠孝などとおのれが行なわずに事々しく説き勧めぬが神道の特色なり、と言えり。すなわち言語で言い顕わし得ぬ冥々の裡に、わが国万古不変の国体を一時に頭の頂上より足趾の尖まで感激して忘るる能わざらしめ、皇室より下凡民に至るまで、いずれも日本国の天神地祇の御裔なりという有難さを言わず説かずに悟らしむるの道なり。
菌類採取のために熊楠翁は紀の国・熊野の至るところを歩きまわった。その無類の洞察力で神域もしくは鎮守の森が生物の宝庫であることを見て取った。そればかりではなく、これらの森の守護者のごとくそびえ立つ神木や巨樹の見事さ、神秘さ、ありがたさに瞠目したに違いない。その植生の恩恵でおびだだしい菌類が繁茂しているのだ。
純朴なる信仰と種の多様性を共存させている神社の森というものが地域社会や生活にどれほど不可欠なものかを熊楠翁は主張していたのだ。しかも土着エコロジカルと同時に強烈な愛国心(ナショナリズム)の発露は見過ごされてはならない。それも偏狭なナショナリズムではない。迫り来る欧米列強に対しての日本人としての誇りと自立と反発がある。国土/地域への愛着と国士としての矜持が同居している。それが凡百のエコロジー運動と異なるところだろう。
田中正造にもそうした誇りがミチミチていたことを想起するべきだろう。
これは中央権力や国体に追従するような盲目的なショービニズムとも異なる。地方の小役人や利権に群がる俗物どもには声を荒げて抗議した。その結果、17日間の入牢生活を余儀なくされている。
土地への愛着、ゲニウス・ロキへの畏敬と日本人としてのプライドが南方翁には一体化していた。
そこんところが今日の環境保護主義とは一線を画するところではなかろうか。
熊楠翁が好んだ闘鶏神社は田辺市の観光スポットになっている。