ベルギーのアントワープの聖母大聖堂に来る日本人観光客には特徴があって、ルーベンスの名画「聖母被昇天」の前で涙ぐむという逸話が朝日新聞に掲載されて記憶がある。地元のヒトには不思議な事に思えたというのだ。
ウィーダ『フランダースの犬』でのネロとパトラッシュの最期の場所だからだ。アニメ作品として国内では有名なのだが、ヨーロッパでは不人気でほとんど忘れ去られた作品と作家というのも対照的な話しだと感じた。
イギリス人マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメーというのが本名だが、英米文学史でも未出か、紹介が一行に満たない。
ところで、日本での紹介者は『赤毛のアン』、つまり「グリーンゲイブルズのアン」シリーズの翻訳者でもある村岡花子だ。うちのご近所、東洋英和女学院出の彼女の翻訳作品でもう一つ挙げるとするなら、『小公子』だろう。
海外文学でも日本人は特異なタイトルに入れ込みを示す。村岡花子の訳本はその典型だろう。
この悲話(悲劇ではない)への入れ込みはれっきとした民族的な伝統があるのではないだろうか?
その典型が「説経節」だ。あるいは『神道集』といってもいいが、民衆のうちに語られてきた悲話ものの流れだ。『平家物語』は壮麗な一族の衰亡の悲劇だ。
「説経節」はふつうの人びと、もしくは身近なヒトの悲運の物語だ。お涙ちょうだいの寸劇とでもいえよう。
わかりやすいストーリーとしては森鴎外により「近代化」された安寿と厨子王の哀話『山椒大夫』がある。だが、岩崎武夫の指摘のようにそれは説話文学の本質的なものを喪失した近代小説にすぎない。
和辻哲郎が『埋もれた日本』で浮き彫りにした、憂き世=苦界の説話ワールドが千年の歴史を持つのだ。
語り物が姿を消したのは江戸時代だ。実は語り物の伝統は文楽のような人形劇、さらには人の演じる歌舞伎に流れて庶民の関心もそちらにシフトしたことが知られている。それでも明治時代に至るまで片隅では語り物をする芸能民はいたようだ。
さらに淵源を過去に求めるならば、貴種流離譚に行き着くと思える。
ネロとパトラッシュからそうした古代心性に遡る経路を詳細に追ってみたいが時間と能力と余裕がないのが残念だ。
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