島国に生きる百済のやさしさ文化

 飛鳥時代までの渡来人のなかでもその数や質で抜きん出ているのは百済人であろう。ともかくも三国時代の同盟国であり、白村江の戦いで亡国の悲運をたどった百済の民人を多く受け入れたのだ。
 仏教文化をいち早く大和朝廷に伝えたのも百済聖明王だという。その名残りとも思えるのが百済観音だ。百済の職人が伝えた技術と技法をもとに日本的な香りを発するこの仏像は多くのアルカイック芸術ファンを魅了してきた。その発端には若き和辻哲郎がいるのは有名だ。
 天上から降り立つ聖なる象徴を現出したというべきお姿は、清楚な「たおやかさ」と「やさしさ」を神々しいまでに発している。
 そう、百済文化の特徴は「やさしさ」にあると言われ、活力と精気にあふれた新羅に圧倒されて傾きゆく国情が仏教に託した思いを体現しているかのようだ。

 西日本には「百済村」と冠した地名が今日までの残るのも感慨深いものがある。
奈良県百済村(くだらそん)、 大阪市東住吉区にある「百済」、宮崎県東臼杵郡美郷町南郷大字神門 には「百済の里」がある。堺市にもさきごろまで百済村があった。

 大和古寺の古さびた味わいも日本で醸成された百済文化の遺産であるのは間違いなかろう。列島文化がかくも多層でかくも多様であるのは外来文化の受容のなせる技であったのだ。

【関連資料】

大和古寺巡歴 (講談社学術文庫)

大和古寺巡歴 (講談社学術文庫)

百済観音 (東洋文庫 (149))

百済観音 (東洋文庫 (149))