盲人の文化

 ホメロスは盲人だった。本当かどうかは知らないが古代ギリシアではそう信じていた。しかし、生まれながらに盲目であったとすると色彩とか鎧の模様などについて詠うことは無理だったろう。
 偉大な叙事詩の作者もしくは語り部が盲人であったという言い伝えは、我が国の『平家物語』の語り手たちが、「検校」という盲人の職業に委ねられていたことを連想させる。
 軍記物の傑作である『平家物語』が個人の手による作品かどうかは、解決がついていないようだが、一応は、後鳥羽院のときに信濃前司行長が作詞して生仏に語らせたということが兼好法師の『徒然草』にある。
 しかし、この生仏という人物からして盲目であったらしく、如一、城玄という僧形の人びとに語り継がれてゆく。おおよそ、室町期には原形に近いものになったらしい。
 琵琶法師は、昭和時代どころか平成の世にも活躍していたらしい。
この盲人であることがどのような身体性の刻印を持つかが、自分が追求したいところだ。
 フランスの啓蒙主義者であるディドロの『盲人書翰』には盲人でありながら、学者となった人物の修養の道と能力を事細かく報告して、かなり興味深いものになっている。時代が降ると盲人の数学者が生まれてくる。オイラーも晩年は盲目となったが、ポントリャーギンは幼少期に失明してから精進によってソ連を代表する数学者となった。
 記憶力が優れているのはこれらの人びとの共通点であろう。
だが、それのみであろうか?
 例えば、
 ヘレン・ケラーは? 塙 保己一は? そして、ボルヘスは?

 ちなみに我が国の音楽家である宮城道雄の『随筆集』は視覚障害者の内面生活をきわめて巧妙かつ繊細に描いた貴重なドキュメントだろう。


【追記】塙忠宝は塙 保己一の息子で自身も学者だが、伊藤博文らに暗殺されている。



 最近出た岩波新書早稲田大学の兵藤氏の研究テーマが最後の琵琶法師だったりする。

琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)

琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書)


ドイッチャー本の第一章が「虹の名前」なのだが、ギリシア人の色弱の可能性を認知言語学から追求している。イギリスの大宰相グラッドストーンホメロスの研究書で詩人の色彩感を現代人と比較しえいるのが新鮮だ。盲人学者の息子を殺したのが日本の宰相で盲人詩人の研究をしたのがイギリスの宰相だったわけ。

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

言語が違えば、世界も違って見えるわけ