最近の「未来予測」の傾向=経済予測

 結論からすると、最近の近未来予測は政治的な対立をメインに将来を予測することはない。「安定なグローバル化した市場がありき」での議論が前提になる。
「政治の季節」は終わり、経済活動と消費の欲望を満たす時代風潮がむき出しになったようだ。また、先進的な技術主導による明るい未来というのも影を潜めた。

 今どきの予測屋の可測的な変数として、いずれの予測手法も国際経済の緊密化と人口ピラミッドの成熟化を当然の事実として前提にしている。
 もちろん経済的な相互依存関係が国家を緊密に結んでいるため、かつてのような世界規模の大戦は、国家間の全面戦争とともに起こりにくい状態にある。
 面白いことに第一次世界大戦前夜にもヨーロッパの知識人は経済活動が主導する資本主義の世界では「戦争は経済損失」なので起き得ないと主張していた。
 パクス・エコノミカというわけだ。
 確かに、経済的な相互依存性は全体の紛争の鎮静化に貢献している。帝国主義の時代と異なり、国際紛争は昔のように軍需産業以外の金儲けにならず、多くの企業家には機械損失となり、大損なのだ。従って、税収や貿易収支を金勘定するのが主機能である今どきの財政主導の政府(これも金権行政の一種なのだろうが)は戦争を忌避したがることになる。

 その上、人口と年齢構成が大きな関心事になっている。その成熟化/高齢化は、現在の延長上でモデル化されているのはどの予測屋も同じだろう。
 そうだ、今や将来の社会を描くのには人口論が主役になっているのだ。これは経済を重視する観点と両輪であることは論を俟たない。

 同時代的には歴史人口学が発展しているが、その成果を未来に拡張するのは期待できない。ジョン・キャスティのいわゆる「Xイベント」の発生がありうるのだ。

 はやりの人口予測/経済予測の前提を崩すものがあるとすれば、戦争以外の環境要因である。ちなみに「Xイベント」からそれを拾い出すこともできよう。
 つまり、ブラックスワン系の破局的事態がそれらのリストになっている。
いつ起きるかわからないというのは基本だろう。それほどまでにクライシスを起こす要因が複雑にもつれてきている。
 どれが起きるかわからない。
 それに関して自分は「バベルの塔」的な状況に陥るだろうと思っている。多くの言説が乱れ飛び誰もがそれを信じない。ただでさえ無益なディスクールが巷にあふれているのだ。
 未来予測はどれほど信用できるものが有るとしてもそれは無数の騒音にかき消されるだろう。
 それが人びとのコトバがかき乱れて何も決められないバベルの塔的シチュエーションだ。

 現代文明は己の大罪ゆえに臨終を迎えると語ってみても、なにを今更と多くの人びとはソッポを向くだろう。
 誰もが救いの道は自分の教説にあるとし、あるいはそんな文明の終焉などは妄説だと言いはるものもいる。Aという教説にnotAが立てられるのがバベルの塔的状況だ。
 つまり、諸説紛々で議論は収まらず、多くの市民はあっけらかんとテクノロジーを信じ、日々の生活を継続しつつ自分の生存基盤を食いつぶすことになるだろう。
 これが予測多すぎて誰も信じないバベルの塔現象という事態だ。