イザベラ・バードの『朝鮮紀行』を読む

 この記録が貴重なのは19世紀末期の開国したばかりの朝鮮半島の実情を英国人女性(英国地理学会会員でもある)の視点からつぶさに読み解くことができることにある。
彼女の視点は民主化して産業革命を経験した現代人のそれに近いのだ。
 しかも、彼女は日本についても貴重なる見聞録を残している。明治初期の日本のほぼ津々浦々の庶民の事情を彼女は記録している。
  1894-1897年にかけて四回、朝鮮半島を訪れている。しかも、その時期は清國と日本の覇権争いと日清戦争。それに引き続く日本とロシアの権益競争の時代だ。
 無理やり開国させられた李王朝はなすすべもなく帝国主義時代の嵐の只中に放り込れたのだ。きわめて不幸なる状況におかれていたのだ。

 日本を観察した、その同じ人物が李朝末期の朝鮮半島を旅したのだ。自ずと日本との比較が前面に出てくる。日本との対比はおおよそ400箇所以上である。
 日本を褒めている箇所もあれば、そうでない場所もある。とくに外見では朝鮮人男性の方が、日本男子より上であるというのは注目されていいいだろう。
 チビで出っ歯な日本人なのだ。朝鮮人は背が高く、押し出しが立派であった。だが、統治力や革新性、民衆文化の多様性や豊かさとなると、朝鮮半島の劣勢が目立つ。
 その比較は客観的であるといえよう。

 序文から、日本の統治政策が引き合いに出される。

 日本の武力によってもたらされた名目上の独立も朝鮮には使いこなせぬ特典で、絶望的に腐敗しきった行政という重荷に朝鮮はあえぎつづけている

 「腐敗しきった行政」が紀行の至るところで指摘されることになる。

それは兎も角、

 西洋人にはじめて朝鮮を紹介したのは九世紀のアラブ人地理学者フルダーズベ

 という切り出しは注意しておこう。マルコポーロ氏よりも古くから、朝鮮半島は知られていたのだ。というか新羅にはローマ帝国との技術交流の跡があると指摘する論者もいるほどだ。ここからして、列島の孤立民族とは違うわけだ。

 なぜか、外国語習得の力量も日本人より上ということらしい(今でもそうだが)

 外国語をたりまち習得してしまい、清国人や日本人より流暢に、またずっと優秀なアクセントで話す。

 バードの朝鮮人と日本人の外観の比較はこうある。

 朝鮮人はわたしの目には新奇に映った。清国人にも日本人にも似てはおらず、その
どちらよりもずっとみばがよくて、体格は日本人よりはるかに立派である

 日本商人の釜山での繁盛ぶりは省略して、朝鮮の仏教についても引用しておこう。
バード女史の評価は辛い。朝鮮仏教は李朝時代にすっかり根無し草となった。これも両班による儒教ハイジャックの後遺症だ。

 この深山に隠遁してしまった瀕死の仏教は、鬼神信仰を上塗りされ、清国の仏教と同じようになかば神格化されたおおぜいの聖者の下で窒息しかけている。たとえば門徒のような日本の大きな仏教改革派の特色である、正義を求める崇高な目的や向上心はなにも見られない。

 この朱子学原理主義がおそらくは半島の文化を大きく歪めた。その不幸を自覚してほしいのだ。秀吉の侵略は日本の愚行であったろうし、朝鮮併合もそうだったかもしれない。しかしながら、内在する歪みのルーツを自覚することが重要ではないだろうか? 仏教の伝統を捨て去るというのは、その歪みの証拠であろう。


 端的に言うと彼女は朝鮮民族の将来性を信じている。
 だが、この時代、庶民の貧窮さは日本と比較にならないし、中産階級はないも同然。両班に代表される支配層は無気力で官僚は腐敗しているとしている。
 やはり李朝時代に歪められたのだ。日本の支配から脱しようと末期の王朝はロシアの権力に寄り付いたが、それは腐敗を悪化させるだけだった。
 日露戦争の合間の時期、イギリス人である彼女は仮想敵国ロシアに厳しい評価を下している。日本の支配のほうがまだ賢明だったと指摘している。
 それは帝国主義の時代の判断であるから割り引いておく必要がある。
 

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

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