どうしてですか、青土社さん

 知的関心をそそる訳本の主流から、青土社が姿を消して久しい。

編集部の方針が変わってしまったのだろうか?

 思わずそう考えてしまう。

 自己流の訳本チョイスなので、偏りがあるのは言うまでもないだろう。

でも、変調しているのは確かなのではないか?

 今年、購入した新刊本の現代思想、現代科学系統の青土社本は皆無なのだ。

いや、この本は先月購入しましよ。テーマの良さと情報量につられて衝動買い。

 

 

 でも、著者は邦人の学者であり、分野的には人類学ではないですか。

ボスケットのこんな本こそ、青土社的な書籍であったはずなんです。

 

 あっ、でもこの本『鏡のなかの自己』は例外か。今年の下半期に買っている。

然しながら、とんがり過ぎた内容でありあすぎたと思います。

 やはり、ミズンの『心の先史時代』がかつての青土社らしいインパクトのある出版物だったと思うは、自分だけなのでしょうかね。

 

 

アダム・スミスの罠 経済のグローバル化&自由化の落し穴

 経済学の開始をアダム・スミスの『国富論』に求める人は多いだろう。

その印象的な節で彼はピンの工場での分業化と集中生産の効率性を説明している。

製品は部品と工程別に分解され、それを請負う人が多数回反復することで、手際よく

しかも、テイラーシステムが後年成功を修めたように、均一で良い品質の製品を大量に生みだせる。

 この様に管理された工場生産は富を生み出す原動力になるとアダム・スミスは考えた。イギリスは産業革命でそれを先導した。そして、世界への工業化社会の到来がやってきた。ガンジーのような先見の明がある人の抵抗を押し切って、量産された安くて良い商品が世界中を席捲したのだ。

 ところで、我々の世代は「安くて良い商品」のもたらす負の側面に気づきだしたところだ。毎年のごとく出回る新製品に押し出される大量のゴミ、不正な労働条件で働く後発国の人びとの存在だけではなく、自国の労働環境の歪みもそこに起因していることに気づいたわけだ。

 好例がアメリカ人の貧困層の増大だ。自国内の安定した職場や職業は失われ、非正規雇用レイオフと再雇用の反復が増えた。アメリカの農業は大規模化(アダムスミス化)しており、大きな雇用を生み出すことがない。

 製造業は家電や消費財にいたるまでほとんど全てが海外の工場にシフトしてしまった。地元の中小企業はサービス業中心であろう。その主柱の一つだった小売業はネット通販により押しつぶされてしまった。

 よって20世紀までは安定的に仕事を持っていた世代であったが、21世紀になりそうした仕事を得る機会は急減しいった。とくにリーマンショック以降は労働者における中間階級はおおきく減少したといわれている。

 アダムスミスの効率性を実現するために、アメリカの企業は自由化とグローバル化を追求した。それは株主と経営者の利益の追求だったからだ。

 大多数であるはずの有権者たちはどうしたものかアメリカの政治家からは、置いてきぼりにされたわけである。その結果がトランプ現象なのだ。

 

 

 

 

 

実写版の用法と肌触り

 怪獣映画の実写版というとチープな香りがするし、熱心なファンにはそのアニメの実写版はチートな響きがするだろう。

 来客があるので自分の家を掃除したり、片付けるのが、一般的だ。これもそれに反対する非常識な住人としては、「実写版」の住まいではないと抗議したくなる。

ゴジラ-1.0への戦中派生き残りの感慨

 『ゴジラ-1.0』への感慨としては、いくつかの銘記すべきことがある。

たとえばの話し、

・帝国の帰還兵のPTSDが克明に描かれ、その社会復帰が成功した(ようだ)

・エンテ型の局地戦闘機の「震電」の大活躍の夢を具現した

・帝国海軍の最後の恩返しの充足。つまり、帝国臣民を死守するという本来のミッションを仮想的にかなえた。

・「敗北を抱きしめて」の戦後の混乱期へのノスタルジー

などがある。

 なので、戦中派生き残りとして不覚にも目頭が熱くなってしまったのだ。

 何と言っても、ゴジラは「米軍」をシンボル化したものだという思いが強まった。

 


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 「俺は不死身の杉本だ」のカミカゼバージョンといったら失言になろう。

 

 主人公の敷島の名は否が応でもこのノンフィクションを想起させる。

 

 

 

 

ゴジラ minus 1と震電カミカゼの震撼

 ゴジラ映画に震電が登場した!

 これはミリオタの端くれとしては感極まれりだ。しかも、真の国土防衛のため、無辜の市民の安全を守るために出撃し、大怪獣と相討ちを遂げた。そして、見事に散華したのだ(機体のみが) 

 日本人の特攻精神の伝統を感じさせたというのは、マイナスコメントになってしまいかねない。

 幸いにして主人公の敷島は脱出に成功しているというサクセスストーリーだが、最高時速750キロの震電ゴジラの顔面に突っ込む直前に脱出したとするなら、普通の脱出では怪獣の巨体に打ちつけられて絶命するような気もする。

 この先尾翼式機体はドイツ語でエンテ(鴨)と呼ばれていたそうだ。三機ほど製作され試験飛行後に改良中に終戦を迎えた。一回も実戦には投入されず、GHQに接収されてスミソニアン博物館に片隅でホコリをかぶっているということだ。

 せめて、怪獣映画のなかでその英姿を輝かせたのは、関係者諸氏の鎮魂となるであろう。

     

   

【参考資料】

 

 

 

岩波文庫 New born 新知識をゲットだぜ!

 最近の岩波文庫の新刊は意欲的なタイトルが多くて、とても嬉しいです。

名前しか知らなかった本や入手不可能な古典やその全訳など。

文庫の編集陣が若返ったのだろうかね。

いずれにせよ、こうした新境地は、我らの知的視野をひろげるか、未開の知=地を沃野にかえるのに大きな力となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書籍のリコメンデーションでも隔離/専門化があるか

   SNSに関する否定的な見方を象徴している現象はフィルターバブルとかエコーチェンバーとか言われている。そこに含まれる協調フィルタリングのようなリコメンデーションエンジンが利用者の求めている意見や情報を優先して提示し、結果として異なる意見や情報を排除する負の効果をもたらしていることを指す。

 書籍通販サイトではどうなのでしょうかね。統計やアンケートに基づいてはいない、あくまでも私的経験をまとめてみた。事前予告しておきますが、最近の自分は全体的にアナログ回帰傾向にあるのは但し書きとして書いておきます。

 私はアマゾンを愛用しているし、hontoやブックオフオンライン、三省堂書店Webなどにも加入している。いずれもリコメンデーションエンジンが自分の興味を持つ可能性のある書籍を表示してくれる。

 しかし、真の出会いはほとんどないといっていいだろう。「これは」と思う書籍に出会うのはリアル書店でしか起きていない。90%以上はそうであろう。

 リコメンデーションは月並みな平均本(売れ筋か新刊)しか提示していないのではないか、同じカテゴリー内での関連本(タイトル類似か著者が被るか)しか推奨しないのではないかと感じられる。つまるところ、リコメンデーションに頼りきりだとドツボにはまるか、井の中の蛙になるか、いずれも「その分野ならみんな知ってるゾッキ本」コレクションになるのだえ~。

 なぜ、そうなるなのかは、組み合わせ爆発を考えると推測できるだろう。それは、

確か寺田寅彦の随筆にあったと思う。

例で考える。

 日本中世文学とそこに現れる鳥類について調べたいと思ったら、書籍タイトルレベルでは激減してしまう。数冊もあるかどうか。

古語辞典も必要だろうが、本草学(博物学)や江戸期の国学者の書籍も関連するだろうが、リコメンデーションエンジンは伴信友貝原益軒の本を推すことはないだろう。

間違いなく柳田国男や野本寛一など民俗学系統は無視されるだろう。

 有能な司書のほうが余程、助けになりそうだ。

 何かしら発見を求めるなら、異なる離接領域に視野を広げる必要があるのではないかと思う。それは書籍名や著者、ジャンル(図書分類)の共通性ではないもののなのだろう。

 図書分類というのは優れたものだとは思うのだが、それだけで済むわけでない。リアリティと蓄積がものをいう。開架型図書館はリコメンデーションとはひと味違うだろう。そこは売れすぎとか新刊とか別次元の宝庫だ。

 

 ちなみにMicrosoftのCopilotなるLLMさんは三冊を呼び出してくる。標準能力の司書以上なのかもしれないが、これらは単行本ではなく論文であるようだ。

中世日本の文学において、鳥に関する本はいくつか存在します。しかし、あなたが探しているものが何であるかによって異なります。私が見つけたものの中で、最も関連性が高いと思われるものを以下に示します。

これらの書籍は、Amazon.co.jpや楽天ブックスなどで入手可能です。132

以上が私が見つけた情報です。ご参考までに。