書籍のリコメンデーションでも隔離/専門化があるか

   SNSに関する否定的な見方を象徴している現象はフィルターバブルとかエコーチェンバーとか言われている。そこに含まれる協調フィルタリングのようなリコメンデーションエンジンが利用者の求めている意見や情報を優先して提示し、結果として異なる意見や情報を排除する負の効果をもたらしていることを指す。

 書籍通販サイトではどうなのでしょうかね。統計やアンケートに基づいてはいない、あくまでも私的経験をまとめてみた。事前予告しておきますが、最近の自分は全体的にアナログ回帰傾向にあるのは但し書きとして書いておきます。

 私はアマゾンを愛用しているし、hontoやブックオフオンライン、三省堂書店Webなどにも加入している。いずれもリコメンデーションエンジンが自分の興味を持つ可能性のある書籍を表示してくれる。

 しかし、真の出会いはほとんどないといっていいだろう。「これは」と思う書籍に出会うのはリアル書店でしか起きていない。90%以上はそうであろう。

 リコメンデーションは月並みな平均本(売れ筋か新刊)しか提示していないのではないか、同じカテゴリー内での関連本(タイトル類似か著者が被るか)しか推奨しないのではないかと感じられる。つまるところ、リコメンデーションに頼りきりだとドツボにはまるか、井の中の蛙になるか、いずれも「その分野ならみんな知ってるゾッキ本」コレクションになるのだえ~。

 なぜ、そうなるなのかは、組み合わせ爆発を考えると推測できるだろう。それは、

確か寺田寅彦の随筆にあったと思う。

例で考える。

 日本中世文学とそこに現れる鳥類について調べたいと思ったら、書籍タイトルレベルでは激減してしまう。数冊もあるかどうか。

古語辞典も必要だろうが、本草学(博物学)や江戸期の国学者の書籍も関連するだろうが、リコメンデーションエンジンは伴信友貝原益軒の本を推すことはないだろう。

間違いなく柳田国男や野本寛一など民俗学系統は無視されるだろう。

 有能な司書のほうが余程、助けになりそうだ。

 何かしら発見を求めるなら、異なる離接領域に視野を広げる必要があるのではないかと思う。それは書籍名や著者、ジャンル(図書分類)の共通性ではないもののなのだろう。

 図書分類というのは優れたものだとは思うのだが、それだけで済むわけでない。リアリティと蓄積がものをいう。開架型図書館はリコメンデーションとはひと味違うだろう。そこは売れすぎとか新刊とか別次元の宝庫だ。

 

 ちなみにMicrosoftのCopilotなるLLMさんは三冊を呼び出してくる。標準能力の司書以上なのかもしれないが、これらは単行本ではなく論文であるようだ。

中世日本の文学において、鳥に関する本はいくつか存在します。しかし、あなたが探しているものが何であるかによって異なります。私が見つけたものの中で、最も関連性が高いと思われるものを以下に示します。

これらの書籍は、Amazon.co.jpや楽天ブックスなどで入手可能です。132

以上が私が見つけた情報です。ご参考までに。