職能民の変遷の一逸話

 鎌倉時代の『東北院職人歌合』をみる。これは国の重要文化財であり、「東北院職人歌合絵巻」で詳細は見分できる。

 ここからは網野善彦の孫引きとなる。絵巻では下図のように博打うちと巫女が対になっている。実は平安末期には国衙(地方官庁)が双六打(博打)と巫女を統括していたらしい。その官庁はどこかは特定できていないものの、幾つかの状況証拠からそれらしいという。

 現代人には想像もつかないが、博打は神事とみなされていた。つまり、博打は神事にまつわる芸能であったらしい。巫女が遊女に成り下がったように中世末期に、下賤の職業と蔑視されるようになった。それも聖から俗に変容する圧力がかかったためだろうと思われる。
 おそらく古代からの寺社勢力が荘園などを喪失し、聖にかかわ社会的機能を喪失していったのであろう。その寺社の職能民たちは遍歴の流浪の民になってゆくしかなくなる。聖なるパワーの後ろ盾をなくした職能民の一部は下賤の職業と軽視されるようになったのではあるまいか。
 マックス・ウェーバーの主張するように世俗化の圧力が中世末期の職能民にも作用していたという仮設をここでは提出しておくとしよう。

 それにしてもこの盛りのすぎた巫女さんの異様な存在感は芯の強さを秘めている。中世末期に眉墨が太く頬紅とお歯黒をしているのもわかる。他方、烏帽子だけで裸同然の博徒は神事の芸能民という誇りはなくなって久しいようだ。



【参考文献】

 この『職人歌合』のような講演の書籍化版ですら、普通の歴史ファンを刺激する思考を散りばめている。網野善彦は最後の偉大なる歴史家だったのかもしれない。
歴史家が2004年に逝去してからはや十年を閲した。

職人歌合 (平凡社ライブラリー)

職人歌合 (平凡社ライブラリー)