涼宮ハルヒはなぜ、了解可能なのか

 多くの固定ファンがいる涼宮ハルヒシリーズについて、どうしてそれが成り立つか、つまり、ライトノベル特有の軽薄短小さを乗り越えて、その価値に普遍性が生まれたのはなぜか?

 学生時代、とりわけ十代後半は、人生のアルカディアといえる。その高揚した気分というのは、残りの人生のすべての高揚感を寄せ集めてもかなうまい。

 自己が世界の中心にいるというビジョンは、世間を十分知らず、しかし、世界の広大さを拓く精神の発展期に訪れるのだ。

 宮沢賢治の小岩井牧場の連作にみられるようなビジョンが好例であろう。

純粋無垢かつ絶学無憂の境地にある生の絶頂期には、不条理であり非合理であっても、それを信じることが可能なのだ。

 ルイス・キャロルのいう「朝食前に不可能事を6つも信じる」のは、涼宮ハルヒの至上のゴールなのだ。