荷風の『日和下駄』は東京散歩を好むヒトの座右の書であろう。第二章は「淫祠」であります。
江戸のすみずみには、路傍の小さな神が溢れかえっていた。荷風の時代には多く残存していた。
「淫祠は大抵その縁起とまたはその効験のあまりに荒唐無稽な事から、何となく滑稽の趣を伴う」としているが、そう言いつつもどうやら隈なく路傍の神々を覗いたようだ。
そこに集まり信心する「愚昧なる民」のほうに、「近代人=軍人、政治家、ビジネスマン」より親密感を覚えていたのであろう。
そこに出てくる「向島の弘福寺」の「石の婆様」を拾い出したい。
子どもの咳を鎮めるために炒り豆を供えるのだと荷風が書いている。このような行為は荷風をして
「理屈にも議論にもならぬ馬鹿馬鹿しい処に、よく考えてみると一種物哀れなような妙な心持ちのする」ところが、「限りなく私の心を慰める」としているのであります。愛着を持っているのですね。
で、「理屈にも議論にもならぬ馬鹿馬鹿しい」テーマをわざわざ拾い上げたのが柳田国男だ。この同時代人たちは微妙なすれ違い方をしている。
柳田は淫祠の神々の由来を「馬鹿馬鹿しい」と切り捨てずにその由来や地域別の系統を調べ尽くす手間をとりました。柳田は姥神の存在を透視しているようですね。咳のおば様はどうやら関という地名から由来して、江戸庶民に定着したと考えている。
姥神はその背後に宿る神霊なのだろう。柳田が重視するのは、千葉県君津町の関村にある姥石である。その伝説を丁寧に「日本の伝説」に書き留めている。
荷風はこれが知っていたら(その形跡なさそうですけど)どう評しただろうか?
でも、炒り豆を供える理由までは柳田の慧眼もおよばなかったようだ。
今でも、向島の弘福寺には咳の婆様の石が残ります。もはや炒り豆がなさそうですけど。
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